2009年12月31日

2009年第4四半期の資産残高推移

資産グラフ200912.JPG

前回からプラス5.4%、この1年ではプラス14.1%の変動がありました。

グラフを見てわかる通り、2009年は波乱のない順調な1年でした。
円高円高と騒がれている割には、実は1年前とほぼ同じレート(USDの場合)なので、外貨建資産へのダメージもなかったようです。

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集計結果が微妙に間違っていたのでグラフを差し替えました。
正しくは、前回からプラス5.9%、この1年ではプラス16.6%です。
実は、前々回の集計時点で既に間違っていたのですが、遡って訂正するのも面倒なので過去の記事はそのままにしておきます。

2009年12月30日

自動車保険の料金比較ー2009年版

去年の年末に「自動車保険の料金比較」という記事を書きましたが、今年も各社の料金が出揃ったのでメモしておきます。

見積もりに使用した条件は概ね次の通りです。

運転者年齢条件: 35歳以上
使用目的: 日常・レジャー
年間走行距離: 3000km未満
対人賠償: 無制限
対物賠償: 1,000万円
搭乗者傷害: 500万円
適用ノンフリート等級: 20
特約: 本人・配偶者限定特約、ファミリーバイク特約
割引: インターネット割引、ABS割引

見積もり結果を安い順に並べると次のようになります。

三井ダイレクト: 13,900円
そんぽ24: 15,700円
SBI損保: 16,700円
チューリッヒ: 19,000円
アクサダイレクト: 20,500円
アメリカンホームダイレクト: 23,300円
ソニー損保: 25,500円

三井ダイレクトの価格優位性に変化なしですが、去年ほどの差はなくなってきました。良い傾向です。
対抗にそんぽ24がジャンプアップしてきたのも面白い変化だと思います。

2009年12月28日

iPhoneの総コスト

無職生活開始~ by ぬこ: 資産計算(1/3)改
携帯電話を買い換えることにしました。
iPhoneがいいかなぁ。。と思っています。
を読んで、高かったiPhoneも少しは安くなったのだろうかと思い、調べてみました。

iPhoneを購入、維持するための費用についての最新情報は、こちらの記事が秀逸です。
らばQ:iPhone 3GSの購入に悩む人のための、購入・維持費・解約時費用一覧表 ~ 2009年12月最新版

結局いくらかかるのかは、こちらの表を見れば一目瞭然。
http://image.blog.livedoor.jp/laba_q/images/review/200912iphone/img16.png

26ヶ月トータルで、パケットをケチりまくっても7.5万、普通に使えば15万近くかかる高コストぶりは相変わらずのようですね。これだけ高いと悩む必要もありません、私の場合。

携帯は電話とメールしか使わない私にはよくわかりませんが、普通の携帯でもパケ放題上限に張り付くような使い方だと、iPhoneと同じぐらいのコストが掛かっているのでしょうか? それならiPhoneに乗り換えるのは良い選択かもしれませんね。
あるいは、家でPCを使わない人なら、固定のインターネット回線を引かずにネットはiPhoneに一本化、という手もありますか。
それぐらいの条件でないと、コストパフォーマンスが悪すぎるような気がします。

2009年12月22日

『楽しく生きるのに努力はいらない―元気がわき出る50のヒント』



お金学 | 楽しく生きるのに努力はいらない(池田清彦著)で紹介されていた本です。

まえがきに
 人生で一番大事なのは楽しく生きることである。大金持ちになるよりも、大天才になるよりも、楽しく生きることのほうがずっとステキだ。そのためには、世間にはびこっているいかがわしい道徳や倫理やおためごかしの人生訓とおさらばして、ものごとを根源的に考える必要がある。といっても別に難しいことじゃない。頭をちょっとだけ切り替えればよいのだ。この本はそのためのヒント集みたいなものだ。
と書いてあるのですが、本当にその通りの内容です。楽しく生きることを目指す人にとっては本当にためになる本だ思います。

 あなたは楽しく生きる権利があるし、自分の欲望をとことん追求したって、悪いことは何もない。それはあなたの自由である。しかし、そのために、他人に何かをしてくれと無理に要求することはできないのである。
(中略)
人は他人を愛したり、やさしくしたり、バカにしたりする権利をもつが、他人から愛されたり、やさしくされたり、バカにされなかったりする権利はない。
他人にやさしくしてもらったり、ちやほやしてもらったりしないと、楽しく生きられない人は、だから楽しく生きるのが、なかなか大変なのだ。反対に、そういうことをしてもらわなくても、いつも楽しく生きられる人は人生の達人である。
人が自立するとは結局こういうことなのでしょう。
いかに経済的に自立した大人であっても、他人の振る舞い次第で自分の幸福が大きく揺らぐような人生である限り、精神的に自立しているとは言えないと思います。

なお、本書では一貫して「他人」は自分以外の人という意味ですから、親子や配偶者などの近しい人も含みます。「他者」と読み替えるほうがわかりやすいかと思います。
 遅刻した人を待つのは自由だが、その相手に対して怒るのはお門違いだ。遅刻した人も、相手が待っていると期待するのはいけない。
ここで修学旅行の集合時刻に10分遅刻した生徒を待つという例え話が出てきます。遅刻した生徒に怒るぐらいなら待たなければよいという結論なのですが、筋は通っていますし、何よりも自由の価値を重んじるリバタリアニズムの特徴がよくわかると思います。

逆の立場に立った場合。
ここであなたが、10分くらい待っていてくれてもよいのに、と思ったとしたら、あなたは自由の意味がわかっていない。というよりも、あなたは自由よりも不自由のほうが好きなのである。
ここ、非常に重要なポイントです。
不自由のほうが好きな人、案外多いのではないでしょうか?

自由と不自由、どちらを好むかによって、人生観や労働観にも大きな違いが出てきます。不自由のほうが好きな人なら、たとえば早期リタイアという生き方は向いていないかもしれません。自由のほうが好きな人なら、たとえば結婚は向いてないかもしれません。
自分は一体どちらなのか、ある程度若いうちに判定しておいて損はないと思います。
 自由より不自由のほうが好きな人たちにとって、迷惑をかけるとは、他人の能動的な権利を侵害することではなく、他人のやさしさ(と彼らが思っているもの)を踏みにじることである。ここでいうやさしさとはたぶん親切の押し売りのことなのだ。他人に親切にするのは、もちろんあなたの能動的な権利である。しかし、だからといって、親切にされた人があなたに感謝しなければならないいわれはない。親切にされるのはむしろ迷惑なことも多いのである。それは経験のある人にはよくおわかりであろう。
はい、よくわかります。
押し売り側にその自覚がないのがまた厄介だったりします。
 やさしさは自由であることを許さない装置である。こういったたぐいのやさしさが好きな人は、自由よりも不自由のほうが好きなのだ。真の自由とは、こういった種類の甘えが許されず、自分の行動の責任を全部自分で引き受けねばならないことだ。自由になりたい、と多くの人は言うけれど、自由であるとはそれほど楽なことではないのである。
たいへん共感しました。

 人の脳は妙なクセをいくつももっているが、何のためにと問いたがるのもその一つである。私はカミキリムシ集めという趣味をもっているが、最もよくされる質問は「何のために集めているんですか」である。答えは楽しいから集めているに決まっているが、虫集めの趣味のない人にとって、この答えはそもそも理解ができないのである。
ほんと、「何のために~」は愚問だと思いますね。
 人の一生ははかない。生きるため(と本人は思っている)にあくせく働いて、気がつけば初老にさしかかってしまった。いったい私は何のために生きているんだろう、と一度ぐらいは思った人は多いだろう。そこで、できる範囲で人生を楽しもう、と思える人は健全である。なかには悠久の大義のために生きなければ、と思ってしまうヘンな人たちがいる。
それで、国家のために、組織のために、あるいは思想のために、命を懸けようなんてことを本気で考える人たちが現れることになる。
(中略)
だいいちこの世の中に悠久の真理などはないし、永久の同一性を保つものも存在しない。読売巨人軍も陽子(女の名前ではない。中性子と陽子の陽子である)もいつかは必ず消滅するのである。無限に比べれば、悠久の大義も神も国家も、あなたの一生と同じくらいの一瞬の出来事にすぎない。人は刹那に生きて、刹那に死ぬべきである。
ここは100%共感しました。
関連記事: 『人生に生きる価値はない』
 そもそも、人間は中途半端な生き物だと、私は思う。たとえば、体調が完璧であることはめったにない。完璧になってから始めようと思っていると、そのうち人生は終わってしまう。
私は今のところ健康に問題はありませんが、歳を重ねるにつれて健康も少しずつ失われていくということを、肝に銘じておきたいと思います。
 特別な才能に限らず、普通の才能であっても、生まれつきの潜在能力の差というのは大きく、たとえば知能指数の50パーセントは遺伝的に決まるといわれており、残りの50パーセントのかなりの部分も、子宮内環境によって決まるらしい。要するに、本人の努力によっては、いかんともしがたいのである。
これは初見の数字ですが、意外に先天的な要素が大きいようですね。
努力主義に毒された人たちは、このような事実を無視または過小評価しているのでしょうか。
 よく、生きがいのない人生はつまらないから、生きがいのために趣味をもつべきだ、と言う人がいるが、そういうのは発想からしてそもそもダメである。人は何かのために趣味をもつわけではない。
(中略)
ただボーっとしているほうが楽しい人は、「人生は短い。忙しくしているヒマはない」とうそぶいて、ボーっとしていたほうがよいのである。人生に目的など本当はないのだ。学問も趣味もセックスも楽しいからするのであって、それ自体に目的があると思ったとたんに、恐ろしくいかがわしいものとなる。
同感です。
 病気を全部シャットアウトして、完全健康でいなければいけない、と考えるのは、近現代に特有のビョーキなのだ。これは健康シンドロームとでも名づけるべき病理である。
同意します。
以前読んだ『「健康」という病』にも同じようなことが書いてあったと思います。
 日本の小中学校は、努力するのが何より大事という偏向したイデオロギーに支配されているので、会社に入っても同じ考えが通用すると思っているアホがいる。この世界で評価されるのは結果であって努力量ではない、ということがわかっていないと、ただひたすら努力することだけが生きがいという人がまれに現れる。これは精神のマゾヒズムとでも呼ぶべき病理現象だと私は思う。
正論だと思いますが、現実に目を向けると、「アホ」の一言で済まされないほど日本全体が努力主義に毒されているような気がします。私の会社員時代も成果主義とは名ばかりで、結果よりも努力を重視するという日本的偏向は根強く残っていました。

2009年12月18日

『勝間和代のお金の学校―サブプライムに負けない金融リテラシー』 3時間目以降

先日書いた通り、3時間目の太田氏の話はパッシブ運用の長期投資家には役に立たないと思います。勝間氏も調子に乗って、
勝間 分散投資をして、決算短信を見て、分散投資も、銘柄だけではなくて、タイミングを分けて。しかも市況に応じてヘッジをつけ外ししながら、実際のトータルリターンを狙っていくという。
などというせわしない手法を、推奨まではしていませんが、やる気さえあれば個人でもできる!みたいに煽ってみたり。

私に言わせれば、市況に応じて先物やオプションでヘッジしないと耐えられないようなポートフォリオなら、最初からリスクを取り過ぎなわけで、小手先のテクニックで一時的にリスクを回避するのではなく、ポートフォリオ自体のリスクを下げるべきだと思います。

ただ、そんな話の中で、参考文献として
ウォール街のランダム・ウォーカー 株式投資の不滅の真理
敗者のゲーム(新版) なぜ資産運用に勝てないのか
さらには、当ブログでも詳細に取り上げた
株式投資 長期投資で成功するための完全ガイド
などの、いかにもアクティブ運用派が好みそうにない本が紹介されていたのは意外でした。

(時間目は読みませんでした。SRIやらCSRと聞くと、余計な手間ばかりかかってリターンの向上には寄与しないイメージがあるもので。これは先入観でしょうか?

最後のホームルームでの、勝間氏の次の発言は何気にポイント高いです。
勝間 私たち個人投資家が買うのは、証券会社や投資顧問会社がいちばん売りたくないものを買わないといけないんですよ。パンフレットも作ってくれないような。作るとコスト割れになるような商品でないといけないんですね。
人気ではなくて、実際にどういう運用ポリシーで行われていて、どういうコスト構造で、信託報酬は何%なのかということが、いちばん重要です。
ほんと、その通りだと思います。
関連記事:
『 金融広告を読め どれが当たりで、どれがハズレか (光文社新書) 』という本に書かれている通り、ほとんどの金融商品広告はカモを選別するフィルターの役割を果たしていて、派手に広告されている金融商品ほど、投資家にとってロクな商品ではないと思っておいて間違いありません。 逆に言えば、...
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最後のまとめに書かれた重要ポイントの一つ、
テクニカル分析には学術的根拠がなく、個人投資家が失敗するお定まりのパターン。チャートを信じて投資をしてはいけない
にも同意します。

2009年12月17日

はてなブックマークからdeliciousへ引越し

今までソーシャルブックマークサービスは「はてなブックマーク」を使ってました。さらにRSS表示用ブログパーツ | FeedWindというサービスを利用して、当ブログのサイドバーに最新のブックマークを20件ほど表示していました。
ところが最近は、記事へのリンクだけでなく、ブックマークコメントも何とか表示できないものかと思い始め、FeedWindの設定をいじってみたりしたものの、解決しませんでした。
そこで別のソーシャルブックマークサービス、deliciousで試してみたところ、ブックマークコメント(DeliciousではNOTEと呼ぶ)の表示が可能であることがわかったので、引っ越すことにしました。

移行作業は
はてなブックマークからdeliciousに移行する方法 | nanapi[ナナピ]
に書かれている通りです。簡単でした。

ついでにサイドバーのレイアウトも変更しました。
リンク集やブックマークは右側に、拍手記事ランキングは左下に移動していますのでご注意ください。

2009年12月16日

『勝間和代のお金の学校―サブプライムに負けない金融リテラシー』 2時間目

1時間目で引用し忘れた部分が一つ。
竹中 政府に期待してはいけない。私は政府の中にいていちばん感じたのは、政府に期待してはいけないということです。
中にいて感じたのだから余程のことがあったのでしょうね。まあ元から期待していませんけど。政府には、ただ余計なことをしないでくれという淡い期待を抱くのみです。

(時間目の先生はファイナンシャル・ジャーナリストの竹川美奈子氏です。名前は知っていましたが、彼女の著書は読んだ記憶がありません。
竹川 最近よく聞かれるのが、「分散投資をしていたのに下がっているんですが……」という声です。気持ちはわかりますが、分散投資をしても、下落の幅や上昇の幅が抑えられるだけであって、元本割れしないということではありません。そのあたりを勘違いしている方が多い。
これはかなりひどい部類の勘違いですね。
関連記事:
ホンネの資産運用セミナー | 分散効果を疑え? より。 今回のサブプライム危機では株式、債券、商品が同時に下がったため、分散投資は間違いとするコラムが多く出された。しかし、分散効果は常に異なる動きをするわけではない。もともと異なる値動きをするかどうかは確率的な話でしかない。 し...
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竹川 資産形成という観点で投資信託を購入する場合、ロスカット・ルールは必要ないと考えています。(中略)
基本的に解約してもいいのは、(運用していたお金を)使う時期になったとき。もしくは、1~3年に1回リバランスをするとき。そして、もう一つが、その商品よりももっと低コストでよい商品が出てきたので商品を乗り換えるというときですね。
完璧です。売るタイミングについては、この説明で十分でしょう。
キャッシュが必要になった時に必要な分だけ売る。これほどシンプルかつ合理的なルールはないと思います。

3時間目の先生、ファンドマネージャーの太田忠氏は対照的に、「まず損切りポイントをきちんと決める」と言っています。ファンドマネージャーのように比較的短期でのリターンを求められるプロ投資家の中には、長期投資家にとって不合理な損切りルールや利確ルールを、さも重要なテクニックであるかのように語る人が多いです。プロの発言は、その肩書が立派であればあるほど、個人の長期投資家にはむしろ役に立たない傾向があるような気がします。
関連記事:
資産運用の基本スタンス に 分散投資だと必然的に含み損を抱える銘柄も多くなりますが、下がったから損切りするという発想ほど馬鹿げているものはないと思っています。何%の利益が出たら売るというのも同様です。 と書いた通り、いわゆる「損切り」や「利確」などの小手先のテクニックには合理性の...
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竹川 長期で資産を形成していくための「投資」という概念と、短期で売買をして2倍、3倍にしたいという「投機」の概念を混同していて、区別がついていないという方が多いですね。(中略)
預貯金からいきなり2倍、3倍を狙う方向にいってしまう人が多い。本当はその真ん中があるのに、両極端なんですよね。投資をしない人は全くやらないし、やる人は、いきなりギャンブルのような方向にいってしまう。
これも全く同感です。

本書を読んで竹川氏の株が急上昇したので、最近の著書を読んでみようかと思います。

(3時間目に続く?)

2009年12月15日

『勝間和代のお金の学校―サブプライムに負けない金融リテラシー』 1時間目



アマゾンのレビューはボロボロですが、前半を読む限りではそんなに悪くないと思います。

1時間目「世の中の大きな動きの中で金融をとらえる」の先生は竹中平蔵氏。
2時間目のテーマでもある投資信託の話が出てきます。
勝間 信託報酬の引き下げについては、もっともっと規模の利益が必要になりますので、やはり業界全体としてもう少し努力が必要かと思っています。
竹中 業界の努力というのは確かに必要ですね。以前、内閣府でアンケートをとったことがあるのですが、「あなたは証券会社に行ったことがありますか?」という質問に8割の人が「行ったことがない」と答えています。「これから行く気がありますか?」という問いにも8割の人が「行く気がない」そうです。
勝間 騙されると思ってるんですよ(笑)。
竹中 最近はオフィスもきれいにして、ファイナンシャル・プランナーの方もいて、態勢を整えつつありますが、最初の一歩がなかなか踏み出しにくいというのは、いまもあるのでしょうね。
私も証券会社に足を運んだことは数えるほどしかないです。しかも「これから行く気がない」8割の人に含まれます。もう窓口に用はありません。
竹中さんの言う「努力」って意外に古典的というか、完全にアナログ世代をターゲットにしているのがわかりますね。きれいなオフィスもFPもコストを押し上げる要因ですから、信託報酬の引き下げにつながるとは思えないです。

2時間目にも似たような話が出てくるのでついでに引用。
竹川 口座をつくるときまでは、どうしても自分でホームページにアクセスして、入力をして、しかも郵送しないといけないわけです。若い人の場合は、わりとクリアできるんですが、ご年配の方の場合、そこで挫折してしまう方も結構いますね。
勝間 私の周囲の場合、ご年配じゃなくても挫折してます、みんな(笑)。
結局何をしたらいいかわからないし、投資信託が山のようにあって、わからない。それで窓口に行ったら手数料の高い商品しか勧められないという構造になっているのではないでしょうか。
トホホ…。
日本のネット証券にすら自力で口座を開けないような人は、勧められるままに高い手数料を負担してくださいとしか言えないです。きれいなオフィスやFPは、そんな人たちのために証券会社が高いコストをかけて用意するのですから、手数料を安くしろなんてずうずうしいにも程があります。

似たような話ですが、
竹中 じつはこの間テレビのある討論番組に出演したのですが、同じような思いを強くしました。みんな政府の悪口ばっかり言うのですが、最後に、日本にどんな国になってほしいかっていうと、「スウェーデンみたいな国になってほしい」って言うのですよ。
勝間 大きな政府ですか。
竹中 私はびっくりしました。みんな消費税を1%も上げたら嫌だと言いながら、消費税が25%のスウェーデンみたいな国になればいいと言うのです。
この番組、『日本の、これから』 税金編に違いありません。森永卓郎氏らを相手に筋の通った主張をしていた竹中さんに共感しました。

ただ、
竹中 いま、その社会保障の負担が大きいから増税をするというふうに言いますけれども、社会保障は改革の進め方によって、負担が大きく違ってきます。例えば所得が1000万円以上ある高齢者には、年金を渡さなくてもいいじゃないですか。そういう改革をすれば、数兆円の単位で社会保障のコストを減らすことができるのです。
このような詐欺的な手法にはまったく賛成できないです。その理由は、
吊られた男の投資ブログ (一般人の投資生活) : [JAL]やはり企業年金削減当然論は恐怖 - livedoor Blog(ブログ)
に書かれていることと同じです。

竹中 私は、制度を考える場合の基本中の基本は、民主主義社会において「複雑な制度は悪い制度である」ということだと思います。
これは税制の話の中で出てきた言葉ですが、本当に現在の税制ほど悪い制度はないと思いますね。
社会保障制度も然り。

(2時間目に続く)

2009年12月12日

家計簿の重要性

うさみみさんのブログ
長が~く続けて、ゆとりある暮らし  ストックとフローと家計簿
を読んで、家計簿の重要性について自分なりに考えてみました。
家計簿をつけるべきか?  と聞かれたら、
つける方が良いと答えると思います。
では、なぜあなたは家計簿をつけていないのか?  と聞かれたら、
毎月一定額以上の貯蓄(フロー)があれば、将来の目標資産(ストック)にたどり着くはずである。
であれば、毎月資産チェックを行い、毎月の全体フローを把握できさえすればよい。
現役時代のほとんどは私もこのようなスタイルでした。普通に生活していれば年間収支がプラスになるのは当たり前でしたし、収支を正確に把握することのメリットよりも、手間がかかるデメリットの方が大きいと思っていました。

ところが早期リタイアを志向するようになると、そうも言っていられなくなります。先日の記事に書いたACRを算出するためには、A=資産残高だけでなく、C=年間生活コストというパラメータの値も不可欠です。資産の変動だけを追っていると、その間の(収入ー支出)がいくらなのかを知ることはできても、収入と支出がそれぞれいくらなのかはわかりません。そこで家計簿をつけることによって、年間の総支出額を記録するようになりました。

もちろんリタイア後も家計簿は続けています。
家計簿をつける意義は資産形成が進むにつれて薄れて行くのではないかというのが、現在の考えです。
これは、いろんな考え方があるので一般論ではなく、個人的な考えです。
物価変動などによる支出の変動を見たり、各年齢ごとに必要な資産残高を推定する(これが不明のままだと、たとえば60歳で1億円という目標の妥当性も判断不能)という意味において、その重要性はむしろ歳を重ねるごとに増していくのではないか、というのが私の考えです。

早期リタイア志向でない人でも、自分の生活コストが把握できていなければ、必要以上に節約を重ねて、本来必要のない貯蓄に励むことにもなりかねません。一人平均3500万円を残して死んでいくと言われる今の高齢者には、そういう人が多いのではないかと思います。

2009年12月8日

早期リタイアの判断基準

読者の方から次のような質問のメールをいただきました。
遊民さんは、何歳で、幾らの資産を持って早期リタイアを成し遂げたのですか?また月々の生活費の内訳や一日のタイムスケジュール等、可能でしたら今後の参考にしたいと思いますので、ご教授の程よろしくお願いします。
おそらく他の読者の方も知りたいと思われる事をズバリ聞かれてしまいました。
ご存知の通り、当ブログでは具体的な資産額や生活費の公開はしていませんので、いつかは聞かれるだろうと思っていました。リタイアした年齢についてもはっきり書いたことはありません。その理由は、これらの情報を正確に公開すると、個人を特定されるリスクが高まるからです。万一特定された場合、資産額を公開しているとちょっと怖いからです。
ここは大雑把に、40歳でリタイアしたと考えてもらえれば十分でしょう。他には家族構成なども気になるでしょうが、同様の理由で非公開です。ただ一つ、扶養家族は一人もいないことだけはお伝えしておきます。

さて、早期リタイア志向の人の最大の関心事と思われる「一体いくらあればいいのか?」について。

たとえばこちらの記事では、
素敵なセミリタイア:セミリタイアに必要な貯金はいくら? - livedoor Blog(ブログ)
この年間平均的支出480万円を支出してセミリタイアするにはアラフォー世代では貯蓄いくら必要か?
実は思ったほどお金は必要ではないんですよね。
年間平均利回り5%で6500万円
       4%で6800万円
       3%で7400万円
利回り3%以下はセミリタイア出来ない情報弱者だと斬って捨てますので計算はしませんでした。
つまり、40歳で7000万もあれば普通の生活のセミリタイア出来るのです。
と書かれています。

また、ぬこさんのように33歳5000万円でリタイアを決断した人がいる一方で、乙川さんのブログでは、
乙川乙彦の投資日記: 無職生活を選択する?
5000 万円では、無職生活を選択するには少額すぎると思います。
という意見を書かれています。

一つ言いたいのは、人生観やライフスタイルの異なるであろう他人様が計算した7000万円や5000万円という絶対額が、自分にそのまま当てはまるケースはほとんどないのではないか、ということです。絶対額を基準にする限り、「それで十分」「いや足りない」という意見の応酬になるだけだと思います。

もっと一般化して論じるとすれば、重要なのは資産の絶対額ではなく、資産額と生活コストとの比だと思います。年間生活コストの何倍の資産を持っているかです。PERに倣って、これをACR(Asset Cost Ratio)とでも呼ぶことにしましょうか。

たとえばぬこさんの場合がわかりやすく、資産が5000万円で生活費が100万円なので、ACRは50倍です。
これは何を意味するかというと、資産からのリターンがインフレ率と同じなら、今後50年間の生活費を賄えるということです。
30代という若さを差し引いても、これは十分に高い数字だと私は思います。(それでも低いというのが乙川さんの意見であることは理解しているつもりです)

あくまで私の基準ですが、
(年齢+ACR)>平均寿命
が、リタイア可能かどうか判断する際の目安になると考えます。

私のリタイア当時のACRは41倍で何とか基準は満たしていましたが、昨年の大幅なマイナスリターンで現在はちょっと不安になるレベルまで下がってきています。それでもリターン4%、インフレ率2%でグラフを描くと、95歳までは持つ計算です。

早期リタイアの決断はかなり大変 - 30歳代からの資産運用~よちよち投資家のブログ - 楽天ブログ(Blog)
特に重要で設定の難しいのは「インフレ率」ですね。
一応2%くらいって思うけど、じゃあそれでいいの?って考えるとやっぱ???

つくづくインフレって重いよなって思うのは、インフレ率2%で平均寿命位をみると生活費が設定額の2倍になります。
今の価値で300万円だと、600万円です。

インフレ率を3%にすると、グラフが地下にもぐっちゃう……ので2%にもどす。
あれこれいじってグラフが動くわけだだけど、何度やってもこれってものがない。

いや、これって思うのは実際あります。だけど、やっぱ不安。
この気持ちわかりますねー。
インフレ率3%にすると確かに破綻します。(笑)
で、思うのは。。。早期リタイアした人って結局「決断」なんだろうなって思う。
そんなの甘いんじゃとか、そんなんだったらリタイアしたくないとか。。。いろいろ突っ込みどころがある。。。でも、それはあたりまえなんだよね。

みんなが満足するような金額って膨大な金額になりそうだよね。
だから、どこかで自分が線を引く。。。ちょっと怖いけどリタイアみたいな決断なんだろうか。。。よくわかんないです。
その通りです。自分なりの「決断」がなければ早期リタイアはできません。
恐怖がないと言えば嘘になります。リスク資産で運用する場合は特に。決断力と同時に、不安への耐性がなければやってられないと思います。

2009年12月6日

『死ぬときに後悔すること25―1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた』



良書です。
もし自分が終末期を迎えたら、著者のような専門医に見届けてもらいたいと思いました。
単純な話だが、明日死ぬかもしれないと思って生きてきた人間は、後悔が少ない。明日死ぬかもしれないと思う人間は、限られた生の時間を精一杯生きようとする人間であり、一日一日に最善を尽くそうとする人間である。一期一会を思う人間である。
私の場合、明日死ぬかもしれないという可能性については常に頭の片隅には置いていますが、それに対して何か具体的な備えをしているかと問われれば、ほとんど何もしてないですね。そんなことはまだ考えたくないというのが本音です。
でも30代半ばを過ぎた頃から、「限られた生の時間」を明確に意識するようになったのは確かです。ふと気付けば、そろそろ人生の折り返し地点に差し掛かっているじゃないか、と。早期リタイアをイメージし始めたのも、ちょうどその頃でした。
まあ今の自分なら、万が一明日死ぬことがあってもそれほど後悔することはないだろうと思っています。仮に今でも現役会社員として家と会社を往復する毎日を過ごしていたら、決してそうは思わなかったことでしょう。
ある食品や怪しい医療で「がんが治った話」を純粋に聞いていると、簡単に騙される。世の中そんな甘い話はないのだ。
同感です。
患者やその家族の「わらにもすがりたい」気持ちにつけ込む商法には、くれぐれも引っかからないように注意する必要があります。そのような気持ちは、死期が近いという冷徹な事実を真っすぐに受け入れられないことから生じるものだと思います。そうならないためにも、できるだけ後悔を避ける生き方が望ましいのです。
 我慢し続けて良いことなどこれっぽっちもないと思う。もっとも昨今の若者は我慢が一様に足りないと思うので、あくまで読者のみなさんが40代以上の場合である。
自分勝手の自由ではなく、自らよって立ち、何ものにも束縛されない真の自由に生きる人間は本当に強い。心の部屋に清涼な風が吹き込むように、窓をいっぱいに開けて己がしたいように生きるべきだ。
とにかくいまわの際には、自分に嘘をついて生きてきた人間は、必ず後悔することになろう。
賛同します。

著者の友人の
「結局人は塵になるんですよ、宇宙の塵に。僕はどうしてもそう思ってしまう。一切の幻想を許さないんだ。科学者としての冷徹な目で見てしまうんだよ」
という言葉にも共感しました。
関連記事:
いろいろな意味で面白い内容で、私にとっては久々の「当たり」本でした。 Wikipediaによれば著者は「戦う哲学者」だそうで、たとえば こちらのブログ で引用されているような奇特な行動を積極的に行う様子は、強烈に印象に残ります。世間からは「変人」とか「KY」というレッテルを貼られ...
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2009年11月26日

年間生活費100万円! 36歳からのドケチリタイア日記

また一つ、早期リタイア実践者のブログを見つけました。
orzさんのブログで紹介されていたmushoku2006さんの「年間生活費100万円! 36歳からのドケチリタイア日記」です。
アーリーリタイアは、元来働くのが嫌いだったのと(^^)、雇われる立場の厳しさに嫌気が差したため決意。
そして生活費を資産運用で賄える目処が付いた2006年に実行。
早期リタイアの動機は私とそっくりです。
リタイアの時期で言えば彼のほうが私より先輩ですね。
自らドケチと称するだけあって、生活コストの低さにおいてはぬこさんとかなりいい勝負かも・・・。まあ確かに食生活については、食べることにあまり興味がない私から見ても少し心配になるレベルですね。
ブログ開始からまだ3ヶ月しか経っていない割には、既に記事の数がかなり多いので、これから少しずつ読ませていただきます。

プロフィールを拝見する限りでは、資産運用のスタイルはかなり違うようですが、同じ早期リタイア組として注目していきたいと思います。

関連記事:
33歳で早期リタイアした方のブログを見つけました。 無職生活開始~ by ぬこ ざっと拝見したところ、5000万円の資産は給与収入からこつこつ貯めて築いたもので、現在も定期預金のみの運用のようです。無理にリスクを取らなくても、生活コストを抑えることによってそれなりの資産を積み上げ...
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2009年11月25日

『リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理』



9.11のテロ後1年間、恐怖に駆られて移動手段を(より安全な)飛行機から(より危険な)車へシフトした米国人が増え、その結果命を落とした人は1,595人に上ると推定されるとか。つまり、
彼らの愛するものたちを奪ったのは恐怖だった。
のです。
すべての人の脳は一つではなく二つの思考システムを有している。
(中略)
 システム・ツーが理性である。それはゆっくり動く。それは証拠を調べる。それは計算を行い熟考する。理性が決定を下すとき、言葉にして説明することは容易である。
 システム・ワンの感情はまったく異なる。理性とは違って意識的に認識することなく動き、稲妻と同じくらい速い。感情は、予感や直感として、あるいは不安や心配、恐れなどの情緒として経験する即座の判断の源泉である。感情から生まれる決定は言葉で説明することが難しい。あるいは、不可能でさえある。なぜそのように感じるかはわからない。ただそう感じるだけである。
本書ではシステム・ワンを「腹」、システム・ツーを「頭」と呼びます。
腹=原始人
頭=聡明だが怠け者のティーンエージャー
という例えが面白いです。

「腹」が無意識、直感的に下す判断はしばしば誤っていて、例えば、
強い感情に駆られると、人は簡単に「確率盲目」になる。強い感情は簡単に確率の数字を取り去る。
(中略)
皮肉なことに確率盲目自体が危険である。確率盲目によって人はリスクに対して簡単に過剰に振る舞い、愚かなことを仕出かす。たとえば、テロリストが4機ハイジャックしたからといって飛行機による移動を放棄したりする。

我々は、「腹」の判断を「頭」が修正することを妨げるさまざまな要因に囲まれて生きていて、その一例がマスメディアの
稀なことを日常的に、日常的なことを稀に報道するという習慣
であったりします。
 直感の誤りを正す第一段階は、科学的過程に対してまっとうな敬意を示すことでなければならない。(中略)
科学的過程は、決して完璧な過程ではない。いらいらさせるほどゆっくりとしているし、間違いを犯すこともある。しかし、人間が現実を理解するために用いてきたほかのどんな方法よりはるかに優れている。
 リスクを理性的に取り扱う次の段階は、リスクが避けられないことを受け入れることである。(中略)
リスクがかかわる問題において、存在するのは安全の度合いだけである。
確かに、以上の2点を軽視あるいは無視した議論が世の中に多すぎるような気がします。
確率は、リスクを取り扱うとき常に重要である。(中略)
人類が直面している最大のリスクは核によるテロではない。惑星を消滅させる規模の小惑星や彗星との衝突である。そういった出来事によって生じる可能性のある破壊の大きさだけを考慮し、起きる確率を無視するとしたら、小惑星や彗星が貫通できない、地球を取り囲む巨大な防御システムの建設に何兆ドルもつぎ込むことになるだろう。
程度の差はありますが、これと同様の馬鹿げた話が、現実に環境問題や食の安全などの分野に起こっています。
私たちにできるのは「腹」がどのように働くか、どのようにときどき過ちを犯すかを理解することである。(中略)
「腹」はよくできているが完璧ではなく、これがリスクを誤って理解すると、人は愚かな結論に達することがある。(中略)
自分自身をいわれのない恐怖から守るため、「頭」を目覚めさせ、仕事をしろと言わなくてはいけない。私たちは一生懸命考えるようにならなくてはいけない。
その通りですね。聡明なティーンエージャーにもっと働いてもらいましょう。
本書にはそのための知恵が満載されています。

2009年11月24日

web宝くじシミュレーター

宝くじの季節ですね。
世の中で最も不利なギャンブルにもかかわらず、見果てぬ夢を見てしまう人たちが後を絶ちません。売り場へ向かう前に是非これを試してみてください。

web宝くじシミュレーター for ジャンボ宝くじ【Trial版】

本来の還元率は45%程度で、これでも十分なぼったくりですが、シミュレーターの結果は多くの場合30%前後の回収率になるはずです。100万円つぎ込んでも、30万円しか回収できません。たとえ1億円以上つぎ込んでも、2等1億円以上の高額当選が出ることはまずないということもよくわかります。

くれぐれも余分な税金を貢ぐことのないようにご注意ください。

参考記事:
宝くじ効果 | twitmedia
金融日記:史上最強のビジネス・モデル、宝くじ

2009年11月21日

『アメリカの高校生が読んでいる資産運用の教科書』



高校生が読むにしてはちょっとわかりにくいし、内容的にも眉唾なところがあるので、あまりお薦めできない本です。

本書で言うところの「まずは自分に投資せよ」とは、
アメリカのパーソナルファイナンスで強調されている「Paying yourself first」
の訳らしいのですが、その意味は、
稼いだ所得から、まず最初に自分のために毎月同額のお金をとっておくこと(=貯蓄)
に過ぎないようです。ただの貯蓄をあえて強調するあたりが、いかにも消費好きなアメリカ人向けの教えです。
日本人は「自分に投資」というと、普通に自己投資をイメージしてしまうので、ここは素直に「まずは貯蓄せよ」と訳すべきでしたね。

信用格差社会アメリカでは、銀行に当座預金口座すら開けない人が約28%もいて、手数料ぼったくりの小切手換金店などを利用しているそうです。そんな人たちになぜか高額の住宅ローンをファイナンスしてしまったことが、サブプライム問題の元凶です。
 インデックスを上回る好成績をあげようとするアクティブ・ファンドは、好成績(パフォーマンス)をいつもあげているとは限らないということです。
これはずいぶん控えめな表現ですね。もっと具体的に、インデックスに負けるアクティブ・ファンドの方が多いという事実を伝えるべきでしょう。

投資の3つのルール:
1.早くはじめること(Start early)
2.投資したお金はそのままにすること(Keep your money invested)
3.多角化・分散化すること(Diversify)
同意します。
しかし、リターン・リスク・ピラミッドの図の頂点(ハイリスク・ハイリターン)に「絵画」「貴金属」を置いているのが奇妙です。これらはあまりにマイナーですし、そもそも期待リターンがプラスとは言えない代物でしょう。

ほかに腑に落ちなかった点。
投資・・・・・・流動性、リターン(収益)、リスク(損失の危険)という観点から比較可能な金融商品に、自分の資産(お金)を投じること。
投機・・・・・・流動性が低かったり、リターンが大き過ぎたり、リスクが大き過ぎたりする。
この定義は変だと思います。
投資と投機の違いについては、こちらに書いてある通り、期待リターンがプラスなら投資、ゼロなら投機、という分類が一番しっくり来ます。では期待リターンがマイナスなら? それは(狭義の)ギャンブルでしょう。
円高でドルを買って円安で売るのがセオリー
円高のときに日本円で外貨に換金する。
→金利の高い商品で運用する。
→円安のときに日本円に戻す。
言うは易しの典型です。
為替の動きを読んで為替差益を得ようとするのは投機以外の何物でもありません。

2009年11月20日

『「ぼうず丸もうけ」のカラクリ』



世界最強のタックスヘイヴンは、実は国内にあるという話。
 お寺に対する「税金の優遇」は、まさに「最強」です。
①不動産取得税
②事業税
③印紙税
④市町村民税
⑤道府県民税
⑥固定資産税
⑦都市計画税
⑧登録免許税
⑨所得税
⑩法人税
これらの税金が、
宗教活動をしている限り基本的に「全部タダ」。

さらに驚いたのが、
 たとえば「お寺」といえど、3円のろうそくを4円で売ったら、その1円の儲けには、「税金」がかかるのですね。しかし、100円で売って儲けが97円という高額のものになると、なんと税金がかからなくなるのです。
という話。その理由は、
普通の商売と競争にならないような「多額の利益」が発生しているものは、「そこにきっと宗教的価値がある!」ということが認められて、税金がかからないんです。日本では「宗教活動には税金をかけない」のです。
まさに「聖域」ですね。宗教とは恐ろしい。
宗教法人という最強のタックスヘイヴンの前では、先日紹介したサラリーマンのマイクロ法人も霞んで見えます。
 宗教行為のすごさは、「価格競争」を完全に無視する力があること。そこには、その人の必死な気持ちが込められているのです。だから信仰心が強くなると、「より価格が高い方がありがたい!」という方向に気持ちが向かうのも、わかる気がします。
 客観的にみれば「ぼったくり」です。
この心理は、食品に顕著な「国産信仰」にも通じるところがありますね。
ぼったくられないためには、宗教とはできるだけ距離を置くしかないようです。

2009年11月19日

『サバイバル時代の海外旅行術』



斜め読みなので簡単に。

高城さんの本は3冊目になりますが、彼が某芸能人の夫だとは、あとがきを読むまで気付きませんでした。
僕のことを、たまたまテレビの芸能ニュースで見て、きっとファーストクラスに乗って、優雅に旅行しているのだろうと思っている方も多いのではないでしょうか。そのような思いでこの本を読むと、あまりのギャップに驚いてしまうのではないかと少々心配しています。
テレビを見ない生活が幸いして、そのようなイメージは刷り込まれていませんでした。むしろ、バックパッカーにしてはずいぶん荷物が多い人だなあと。(笑)

海外でSIMフリーの携帯電話(またはiPhone)を買う話は、参考になりました。

ごくわずかですが、海外口座開設の話も出てきます。
それぞれ5万円程度の初期資金で、バンクオブハワイ(アメリカ)、HSBC(イギリス)、La Caixa(スペイン)に旅行者として口座を開き、デビットカードを入手したそうです。スペインの銀行は名前すら聞いたことがないですね。

本書で紹介されている役立ちそうなサイト:
価格を比較して格安航空券を見つけましょう! - Skyscanner 日本
Booking.com: 73000 以上の世界中のホテル. このホテルを予約する!
Airport Reviews | Budget Traveller Guide to Sleeping in Airports
CIA - The World Factbook
Free Worldwide Travel Guides - Wikitravel

関連記事:
『70円で飛行機に乗る方法』 が面白かったので、前著も読んでみました。 「グローバリゼーションってなに?」という人には一読の価値ありだと思います。 それ以外の人には、あまり目新しいことは書いてなくて退屈かもしれませんが、年間200日も世界を飛び回って見聞を広めた著者の言葉には説得...
yumin4.blogspot.jp
タイトルには騙されました。70円で飛行機に乗るための具体的な方法を解説する本ではありません。 実は、一見なんの脈絡もない『 「ひきこもり国家」日本―なぜ日本はグローバル化の波に乗り遅れたのか (宝島社新書 238) 』という本の続編だと知ったのは、「おわりに」まで読み進めたあとで...
yumin4.blogspot.jp

2009年11月14日

『貧乏はお金持ち──「雇われない生き方」で格差社会を逆転する』



橘玲ファンの期待を裏切らない良書ですが、本書を読んですぐに「雇われない生き方」を実行に移せるかといえば、日本ではまだ無理だろうなという印象です。
この世界大不況が私たちに教えてくれたことがあるとすれば、それは、国や会社はなにもしてくれないということだ。アメリカ大統領にオバマが就任しても、日本の政権党が自民党から民主党に替わっても、魔法のように景気を回復させられるわけじゃない。グローバルな市場の中で、国家ができることはほんのわずかしか残されていない。それも、しょっちゅう失敗する。だったら、自分のことは自分でなんとかするしかない。
その通りです。

市場経済において私たちがお金を獲得する方法は、たった一つ:
資本を市場に投資し、リスクを取ってリターンを得る。
投入する資本が人的資本ならリターンは給料などであり、金融資本ならリターンは利子や配当などです。
本書では人的資本を高めるための「自己啓発」という戦略について扱わない理由の一つとして、
みんなが同じ目標を目指せば少数の勝者と大多数の敗者が生まれるのは避けられず、ほとんどのひとが敗者になってしまうのだ。
そこでこの本では、お金と世の中の関係を徹底して考えてみたい。なぜそんなことをするのかって? 自分が生きている世界の詳細な地図を手に入れることができれば、自己啓発なんかしなくても、ほかのひとより有利な立場に立つことができるからだ。
と書かれていました。これは真実だろうと思います。
 マイクロ法人をつくれば、ひとはビンボーになる。そしてそれが、お金持ちへの第一歩だ。そのうえ”雇われない生き方”を選択すれば、クビになることもない。
これが何を言っているのかサッパリわからない人は特に、本書を手に取る価値は十分にあると思われます。
現在では、誰でも気軽に資本金なしで株式会社を設立できるようになった。これはまさに、会社法のコペルニクス的転回だ。
私は本書を読むまでこの事実を知りませんでした。資本金なしでOKになったのはつい4年ほど前のことのようです。この分野は頻繁に法改正があるので、今後改悪の方向に向かわなければいいのですが…。
 税金と並んで家計に大きな影響を与えるのが年金と健康保険だ。サラリーマンの場合、いまでは税負担よりも社会保険料のほうがずっと重くなってしまった。これまで厚生年金や組合健保に加入できることがサラリーマンの大きなメリットだと考えられてきたが、この神話は10年以上前にすでに崩壊している。
恥ずかしながら、私も会社を辞めるまではこの神話を信じていました。
 制度上、日本には二種類の年金制度と健康保険制度があり、一方は他方より有利である。
多くの場合、
国民年金>厚生年金
国民健康保険>組合健保
です。もちろん所得や扶養家族の数によっては逆転するケースもありますが。

本書では、いわゆる「サラリーマン大家」について、
マンションやアパートは資金繰りに行き詰ったときにすぐに換金できないから、キャッシュフロー的にはきわめてリスクの高い資産運用法だ。
とバッサリ斬っています。

また、『「無税」入門』に書かれていた節税法について、本書では
サラリーマンが税コスト引き下げのみを目的にするのならこの方法がもっとも有効だろう。
と評価しています。

本書の真骨頂は「あとがき」で、こちらに全文が公開されていますので一読の価値ありです。特に自由と自己責任について書かれた次の部分には、完全に共感しました。
近代は、自由を至上の価値とする社会である。私たちは誰の強制も受けず、自分の人生を自分で選択することができる。これが私たちの生きている世界の根源的なルールで、何人たりともそれを否定することは許されていない(ひとを奴隷化する者は社会から排斥される)。

ところで、自由はなにをしてもいいということではなく、ひとはみな選択の結果に対して責任を負わなくてはならない。自由と責任は一対の概念だから、原理的に、責任のないところに自由はない。

派遣や非正規雇用の問題を語る際に、彼らの自己責任を問うことを許さないひとたちがいる。私はずっと、この議論に強い違和感があった。相手を責任の主体として認めないということは、奴隷か禁治産者として扱うことだ。ひとが尊厳をもって生きるためには、自分の行為に責任を持たなくてはならない。

自己責任を否定するひとたちは、決まって国家や会社やグローバル資本主義を非難する。だが、理不尽な現実をすべて国家の責任にしてその解決を求めるのはきわめて危険な考え方だ。国家とは、盲目的に自己増殖するシステムである。マスメディアが“危機”を煽れば、国家はそれを格好の口実にさらに肥大化しようとするだろう。国家が巨大化すれば、その分だけ私たちの自由は奪われていく。

私たちは自由でいるために、自分の行動に責任を持たなくてはならない。自己責任は、自由の原理だ。それを否定するならば、残るのは無責任か連帯責任しかない。すべてを国家の連帯責任にするのは、「国家主義」以外のなにものでもないだろう。

もちろん、だからといって職を失った若者たちにすべての責任を引き受けさせるのは酷である。“ロスジェネ”を生み出したのは、終身雇用と年功序列に固執するこの国の差別的な雇用制度だ。同じ職種には同じ賃金を支払う「同一労働同一賃金」はアメリカはもとよりEU諸国でも当然とされているが、日本ではいまだに勤続年数によって労働条件が決まる。こうして給与の高い中高年層が企業に滞留していくが、厳しい解雇規制によって経営が破綻するまで彼らを若い労働力と交換することは許されない。

若者たちの自己責任を問うのであれば、解雇を自由にして、誰もが対等な条件で労働市場で競争できるようにするべきだ。だが既得権を握って離さないひとたちは、自分たちに不利な“公正な社会”の実現を嫌って、国家に責任を転嫁し三十代の若者に生活保護を受給させて差別を温存しようとする。こうして彼らの人生を腐らせていくのだから、これは偽善というよりも犯罪である。

2009年11月11日

『欲しがらない生き方 -高等遊民のすすめ-』



「高等遊民のすすめ」というサブタイトルに引かれて読んでみた本です。
まえがきに「高等遊民になるための20ヵ条」があり、著者が描く高等遊民像がどんなものかわかります。自分にどれだけ当てはまるか見てみました。

高等遊民は
○お金持ちよりも時間持ち、物持ちよりも心持ちをめざす
○世俗の欲望を半分捨てる
○いつも”ほどほど”をめざす
×お金がなくてもいつも楽しい (より少ないお金でも人生を楽しめるというならわかりますが、本当にお金が「無い」人生が楽しいわけがない…)
○行列してまでモノを望まない 
△ブランド品は持っていないが電子辞書を持っている (どちらも持っていません)
○スケジュール帳など持たない
×義理と人情に弱い
△どのような人とも対等に付き合う (価値観が合わない人とはそれなりの付き合いに…)
△人から与えられるより与えることを望む (どちらも望みません)
△いつも笑顔でグチや不満をいわない (喜怒哀楽自体が少ないので)
○人にたかって飲食などしない (高等遊民でなくても人として当たり前では?)
○ボロは着てても心は錦 (ファッションに全く興味ナシ)
△正義を愛しウソは洒落でしかつかない (「正義」という言葉は胡散臭く感じます)
○形式よりも中身を大事にする
○儒教思想よりも老荘思想に親しむ
×信条として新渡戸稲造のクリスチャン「武士道」を愛する
×司馬遼太郎と山田風太郎を併読する
○なによりも知的好奇心を愛する
○誰からも束縛されない自由人である

まあこれだけ当てはまっていれば、同じ高等遊民の看板を掲げるブロガーとして問題ないですよね。
極論するなら、今日のわれわれを取り巻く多忙はまさに諸悪の根源といってもさしつかえないほどである。だからこそセネカはいうのだ。いい人生を送ろうと思ったら「多忙から開放されろ」と。
その通りです。極論とは思いません。
 仏教語では他と比較しないことを「無分別」といい、すなわち唯我独尊であることを絶対的幸福観としているが、その真髄は「私はこれで十分」という「知足心」(足ることを知る心)である。(中略)
 だからこうした絶対的幸福観を持っていない人は、いかに金持ちになろうと、どんなに立身出世しようと、いつまでたっても幸福にはなれないのである。
同意します。

アメリカの作家、ヘンリー・D・ソローが、高学歴でありながら定職につかない生活を非難されたときに返答した
「みなさんは仕事、仕事というが、われわれの多くは大切な仕事などほとんどしていない。カネを稼ぐだけなら、かならず稼がせてくれた制度に身を売ることになる」
という言葉にも大変共感しました。

自由時間の使い方については、
とはいっても、最初から気張って何かをやることはない。自由な時間が持てたとなると、即座に「何か」をしなければならないと思う人は、貧乏人根性であり、「何もしない」というのも立派なストレス解消策なのである。
という考え方に賛同します。
このような自由な立場にいることがどれほど幸せかは、会社員時代は当然のこと、リタイアして2年以上が経つ現在でも、ずっと実感していることです。

いわゆる「仕事人間」について、
 最近つくづく思うのは、たとえ役員や社長になった人でも、人間的に面白みのない男たちが多くなったということだ。学歴や地位がいかに立派でも、長年の人生で培った仕事以外の趣味や教養というものがないと、リタイアしたあとでも仕事の自慢話ばかりで、感心して聞くような話はまったくない。
 彼らの話はいつも決まっていて、まずは過去の自分の手柄話、ついで病気と健康維持の話、ゴルフ、食い物、子供自慢に孫自慢といったものだ。(中略)ましてや「××のステーキは最高だった」「焼酎は○○が最高だな」などと、さも通ぶって語られるほど気色悪いものはない。
 たまには面白かった本や映画の話をしたらどうだと思うのだが、こういう人に限って本も読まなきゃ映画などまったく観ていない。これでは若者たちの雑談の延長線上であり、まったく大人になりきっていないのである。かつて”仕事人間”といわれた人ほどこの傾向が強い。
このように痛烈に批判しており、著者の感性には私も共感するところではありますが…。まあこればかりはどちらが良い悪いの問題ではなく、興味の対象がまったく異なる人間同士で話をしてもお互いにつまらない、という当たり前のことかと思います。時間があるからといって誰とでも付き合うのではなく、やはり相手はじっくり選ばないといけないという教訓を与えてくれます。
 じゃ、人生とはなんだ、と人生経験の浅い若者ならそう聞き返したくもなるだろう。だが、われわれはすでに知っている。人生とはどっちに転んでも、たいしたことはない、ということを。社長になろうと一生ヒラ社員で終わろうと、どんな職業に就こうと、その立場立場に悩みがあり、苦労と喜びがあり、トータルで見れば結局は同じことなのである。要は、違う世界を知らないがゆえのないものねだりであり、その立場になればこうじゃなかったはずだと思うものである。
実際には転び方次第でけっこう大きく振れるのが人生であり、「結局は同じ」とまで楽天的に考えるのは問題があるような気がします。しかし、必要以上に悲観して悩む人の場合、このような考え方がちょうどいいのかもしれません。

2009年11月1日

10万ページビュー

数日前に達成したようです。ここまで17ヶ月かかりました。
いつも読んでいただいてありがとうございます。

記事別のPV数トップ10は次の通りです。
1位 早期リタイアした理由 1,715
2位 無職生活開始~ by ぬこ 817
3位 Google Chrome の欠点 774
4位 iPhone 3G の最低月額料金 747
5位 早期リタイアまでの道のり 709
6位 ポータブルナビ Garmin Nuvi250 Plus 606
7位 米国Interactive Brokers証券 589
8位 『「無税」入門―私の「無税人生」を完全公開しよう』 570
9位 「サラリーマン債券」は債券ではない 560
10位 リタイアに「不労所得」は必要か? 553

一番人気の記事はGoogleで「早期リタイア」で検索すると最上位に出てくるためと思われますが、この記事のきれいな右肩上がりの資産残高推移予測、とんでもなく外していて今となってはお恥ずかしい限りです(苦笑)。このグラフのように毎年コンスタントにプラスの利回りが実際に得られるはずもなく、肝心の序盤で大きなマイナスリターンが出るとやはりインパクトが大きいということを身をもって知りました。もはや資産を余らせて死ぬ心配よりも、近いうちに再び大きなマイナスリターンが出たら逃げ切れないという心配をしなければならない状況と言えるでしょう。

後に続く早期リタイア志向の方は是非この教訓を生かし、自分がこのような心配にも耐えることができるかどうかを慎重に見極めた上で、余裕のある計画を立てていただければ幸いです。

2009年10月25日

『脱「ひとり勝ち」文明論』



ここで言う「ひとり勝ち」は、「豊かさや、経済力などが、先進国の、世界全体から見たらごくごくわずかな人たちに集中していること」を示す言葉
だそうです。そして、
「化石燃料をエネルギーにした一回目の工業化の時代」のあとには、「太陽電池をエネルギーにした二回目の工業化の時代」がくる
そのことによって、
 世界中の約70億人の人たちも、「20世紀のアメリカ人と同じように裕福な生活」を実現できる。
という、一見夢のようなお話です。

しかし本書によれば、現時点の太陽電池の発電効率のままでも、大量生産によって価格が現在の1/4に下がりさえすれば、従来の発電コストよりも安くなるところまで来ているそうです。価格を1/4にするには生産量を100倍にする必要があり、決して低いハードルとは言えませんが、そこを乗り越えれば爆発的に普及が進み、さらに価格が下がる好循環が加速して、最終的にはエネルギーコストがタダ同然にまで下がっていく・・・というところまで想像が膨らみます。そうすると、前述のような世界も決して夢物語ではないように思えてきます。

数ある自然エネルギーの中で太陽電池(太陽光発電)が主流になる理由は次の通りです。
①世界中のどこでも使える(公平性)。
②未来にわたって使うことができる(持続性)。
③太陽電池だけで世界のエネルギーを全てまかなえる(最大効果量)。
④資源が無限にある(資源制約)。
⑤普及しても新たな問題が発生する心配がない(新たな問題)。
⑥他のエネルギーを得る方法に比べて、電気代がものすごく安い(限界コスト)。
⑦使うのにむずかしい技術がいらない(利用の容易性)。
バイオ燃料は風力発電や水力発電に比べても劣っている点が多いので、太陽電池の比ではありません。いずれ消えてゆく運命にありそうです。

地球温暖化については、次のように述べています。
高い経済成長のせいで、あるいは進みすぎた科学技術のために、また、過度に裕福な生活のせいで、温暖化が起きているというわけではないのです。
(中略)
問題は、せっかく、20世紀なかばからいまにかけて、量子力学を基盤として、本当の意味で新しい技術が生まれているのに、それを使わないまま、100年以上も前の科学的知識にたよった技術を使い続けていることが問題なんだ、ということなのです。
しかも、むしろ、新しい技術を使ったら、温暖化はなくなるどころか、さらに、エネルギーが行きわたって、人類は裕福になる、世界中でアメリカ人と同じようにエネルギーを使えるようになる……。
そんな脱「ひとり勝ち」の文明が、すぐそこにあるんだということでもあります。
二酸化炭素は地球温暖化の犯人ではない、という野暮な話は置いといて、環境問題を解決するのに、経済成長を抑制したり科学技術を忌み嫌ったりするのは完全に方向性を誤っているということです。

全体を通じてとにかく明るい未来像が描かれており、わくわくしながら読みました。以前、『宇宙旅行はエレベーターで』を読んだときと同じような気持ちです。どうやら私は、SFの世界が現実になるシナリオに弱いようです。

2009年10月23日

『しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール』



幸せのハードルが高めの人、マイナス思考をしがちな人、成功法則本が大好きな人にとっては、考え方を変えるきっかけになる本かもしれません。

10のルールのうち、私が共感した部分を挙げてみます。

第1章 恋愛にすべてを捧げない
たとえ恋愛がうまくいかなくても、それで「ほかのことはすべて意味がない」とか「私は無価値な人間だ」と考えてしまうような思考のスタイルから、自分を解放することだ。
ここは「恋愛」を仕事など他の言葉に置き換えても同じで、対象が何であれ「すべてを捧げる」という行為自体がとても危険なものだと思います。

第3章 すぐに白黒つけない
「まあ、いまのところはそう思っているのだけれど、もうちょっと様子を見てみないと何とも言えないね」といったあいまいさを認めるゆとりが、社会にも人々にも必要なのではないだろうか。そしてこの「あいまいなまま様子を見る」という姿勢はまた、自分と違う考え方、生き方をしている人を排除せずに受け入れるゆとりにも、どこかでつながるものだと思われる。
同感です。

第6章 仕事に夢をもとめない
「私は何のために働いているのか」と深く意味をつきつめないほうがよい。どうしても意味がほしければ、「生きるため、パンのために働いている」というのでも、十分なのではないだろうか。
完全に同意します。

第8章 お金にしがみつかない
たとえば本の場合、本当に『売れればよい」のだろうか。また、「売れる本が必ず良い本」なのだろうか。
ここは、書くことより売ることに重きを置く勝間氏への痛烈な批判に聞こえました。確かに最近の勝間本は内容の割には売れすぎている傾向が顕著だと思います。

第9章 生まれた意味を問わない
どう考えても「なぜ生まれたか」などという問いにはあまり深く立ち入らないほうが身のためだ
(中略)
「本当に答えが出ることはない。逆に、これだ、という答えが出たときは危険なのだ」ということは、頭の片隅にとどめながら悩むべきだ
これは本当に意味のない問いだといつも思っています。悩むことさえ時間の無駄でしょう。もし真剣にこれを問いたいのであれば哲学の道を志すべきじゃないのかなと。

第10章 <勝間和代>を目指さない
努力したくても、そもそもそうできない状況の人がいる。あるいは、努力をしても、すべての人が思った通りの結果にたどり着くわけではない。これはとても素朴でシンプルな事実であるはずなのだが、まわりを見わたしてみるととくに最近、そのことを気にかける人がどんどん減っているように思える。
いくら成功者でも、というより成功者であればあるほど、「私がいまあるのは幸運と偶然の結果であって、一歩間違えれば、私も病気になったり家族に虐待されたりしていま頃孤独な失敗者だったかもしれない」と思えなくなるのだ。
普通の人から見れば香山氏だって十分に成功者だという意見がありますが、成功者自身がこのような事実を直視し、努力主義を否定する例は珍しく、貴重なことだと思います。

2009年10月15日

『人生、しょせん気晴らし』



タイトルの意味するところは、著者が「岩盤のように硬い」とする次の前提さえ理解できれば、自然に導けるものだと思います。
私が死んだあとでも、世界は「ある」という前提。あるいは、もっと簡単に言うと、未来は「ある」という前提。その理由を書くと何百枚になるから控えて、とにかくこれを私は断じて認めない(後略)
これだけだと一見わかりにくいですが、続いて
このすべてを、単なる偏屈と片付けられても困る。私はこう考える自分を、目を輝かせてあれを伝えたいこれを伝えたいと語る評論家たちよりもずっと「まとも」だと信じている。彼らは、自分が死ぬことの意味、自分の存在が無に帰しもう二度と有に戻ることのない凄まじさに対して真面目に向き合っていないのだ。この不真面目さは、やがて自分の子供たちも孫たちも、そして人類も地球も太陽系もなくなって灰燼に帰するという凄まじさを直視しないという不真面目さとリンクしている。未来はない。
ここまで読めばわかるのではないでしょうか。まあ、そもそも直感的に信じられていることと違いすぎる前提なので、わからないと言われればそれまでですが。
さらに、
 じつに不思議なことだ。こういう考え方をする人がきわめて少ないということは。彼らは、大真面目な顔つきで「未来社会の倫理」とか「地球温暖化問題」とか議論している。あと50年したら海面は数メートル上昇して東京は水没する!と警告を発する。しかし、そのとき自分はいないのだよ! そのほうがよっぽど差し迫った「問題」ではないかと思うのだが。そのことに全力で取り組むべきだと思うのだが。どうも思考回路がそういう具合にでき上がっていないようである。
と畳み掛けられ、私は、確かにおっしゃる通りだと納得してしまいました。
いままで、放置自転車をけり倒したり、駅員のマイクを奪って線路に投げ捨てたり、酒屋のスピーカーを引き抜いて民家の池に捨てたり……この程度の軟弱な抵抗に留めておいたが、
それ軟弱じゃないです…。さすがは戦う哲学者。
スピーカーは結局3万円で弁償したそうですが。(笑)
 では、気晴らしでないものとは何か? それはただ一つ、各人が自分の投げ込まれている「たまたまたった一度だけ生まれさせられ、もうじき死んでいく、そして二度と生きることはない」という頭が痺れるほどの残酷な状況をしっかり見据えて━━これだけを見据えて━━生き抜くことだけです。


関連記事:
いろいろな意味で面白い内容で、私にとっては久々の「当たり」本でした。 Wikipediaによれば著者は「戦う哲学者」だそうで、たとえば こちらのブログ で引用されているような奇特な行動を積極的に行う様子は、強烈に印象に残ります。世間からは「変人」とか「KY」というレッテルを貼られ...
yumin4.blogspot.jp

2009年10月14日

『会社に人生を預けるな』



勝間本は図書館でも相変わらずの大人気のため数ヶ月待ちでやっと回ってきたのですが、内容的には凡庸でこれといった収穫はなかったように思います。タイトルに釣られた感が残りました。
 宝くじを買う人は、ある意味でだまされているといっては言い過ぎかもしれませんが、このような期待値で見たら明らかに損な取引でも、わずかでも夢のある取引について高い効用を感じるようなリスクの効用曲線を持っているのです。そして、このような効用を持っているがゆえに、そこにつけ込んだ商法(宝くじがまさにその典型です)にお金を吸い取られやすくなるのです。
その通りですが、これは期待値の計算ができない愚か者は損をするというごく当たり前の話に過ぎないので、ダウンサイドリスクの小さい宝くじを買うことを、リスクリテラシーの欠如を示す例として使うのは適切でないと感じました。
 ところが、投資をする際、下落するのはイヤ、上値についてはやはり最低でも年間10%、できれば数十パーセントのリターンがほしいという人が多いのです。
もし身近にそういう人がいたら、最初に伝えるべきことは「詐欺に気をつけろ」ですね。
普段、困ったことはお上が解決してくれ、何かのリスクが生じて困ったときは、とりあえず「お上は一体何をやっているんだ」と怒る、あるいは叩くという発想に結びつく傾向にあるといえると思います。
 これはとても問題の多いメンタリティだと私は思います。
同感です。

2009年10月11日

『格安エアラインで世界一周』



LCCを乗り継いで世界一周する旅行記で、以前読んだこの本と同じように、乗り物に乗って移動することが目的化しているのが特徴です。

事前に予約したのは日本発着便のみで、それ以外は行く先々でノートPCをネットにつないで、ルートを選びながら航空券を購入していきます。宿泊先も現地の空港に着いてから考えます。このような行き当たりばったり、かつ時間的余裕の少ない旅のスタイルでも、それらしいトラブルにも見舞われずに順調にこなしていく様子を見て、ちょっとした驚きと同時に、流石は旅のプロだなあという感想を持ちました。たとえば入国審査でトラブらないために敢えて職業を「architect」と詐称するところなんか特に。面白いトラブルを期待しながら読んだのに残念です。(笑)

経路とコストは次の通り。
関西
↓Cebu Pacific Air \24,286
マニラ・クラーク(フィリピン)
↓Air Asia \9,950
クアラルンプール(マレーシア)
↓Air Asia \2,470
シンガポール
↓Tiger Airways \11,878
バンガロール(インド)
↓Air Arabia \10,822
シャルジャ(UAE)
↓Air Arabia \19,343
アレキサンドリア・カイロ(エジプト)
↓Aegean Airlines \20,034
アテネ(ギリシャ)
↓easyJet \14,681
ガトウィック(イギリス)
↓Aer Lingus \13,224
ダブリン(アイルランド)
↓Aer Lingus JetBlue Airways ¥35,310
ニューヨーク経由、ロサンジェルス・ロングビーチ(アメリカ)
↓Singapore Airlines (LCCではない) \57,230
成田

飛行機代総額\219,228。まあ安いのでしょうけど、実際にこのような乗り継ぎで世界一周旅行をしてみようとは決して思いませんでした。ひたすら移動、移動を繰り返す旅はやっぱり過酷だとわかります。

各都市のエピソードで印象に残っているのは…
バンガロール
・とんでもない飲んべえの男たち

アレキサンドリア
・入国用のビザを国内側にある銀行窓口で取ってこいと言う入国審査官
・空港のツーリストインフォメーションが午前11時半には閉まっている

カイロ
・ヨーロッパの若者たちの「外こもり」の街
・タイよりも物価が安い

アテネ
・建物がしょぼい

ダブリン
・頑固な町(古い建物が多い)
・料理の量がやたら多い
・物価が高い

その他
・LCCに乗るときはイヤホンを持参すること

関連記事:
タイトルには騙されました。70円で飛行機に乗るための具体的な方法を解説する本ではありません。 実は、一見なんの脈絡もない『 「ひきこもり国家」日本―なぜ日本はグローバル化の波に乗り遅れたのか (宝島社新書 238) 』という本の続編だと知ったのは、「おわりに」まで読み進めたあとで...
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2009年9月29日

「損切り」の不合理

資産運用の基本スタンス
分散投資だと必然的に含み損を抱える銘柄も多くなりますが、下がったから損切りするという発想ほど馬鹿げているものはないと思っています。何%の利益が出たら売るというのも同様です。
と書いた通り、いわゆる「損切り」や「利確」などの小手先のテクニックには合理性のかけらもなく、特に長期投資家が最もやってはいけないことの一つだと思っていますが、同じような意見を見かけたので紹介します。

「損切り」するな - 投資の消費性について より:
「損切り」と呼ばれる投資行動は、僕にはまったく理解できない。理解できないばかりか、もっといえば嫌いだ。というか普通に損だと思うよ、それ。
同感です。
投資の判断は、未来に向かってするんじゃなかったのか?「上がると思った」から買ったんだろ?「下がると思った」から売るのならいいよ。そうじゃなくて「下がっちゃった」から売ったの?なんて情けない奴なんだ君は。そう、実は一行で済む話なのだが、投資判断てのは常に、未来に向かってすべきものだ。それ以外にあり得るわけがない。
実にシンプルですが、損切りがなぜ不合理なのかは本当にこの一行で済んでしまいます。今までうまく説明する自信がなかったことを、この秀逸な記事が代弁してくれている気がしました。

2009年9月15日

理系の人々(166)

理系の人々(166) オーガニックって根性論の匂いがするんです - エンジニア★流星群 @Tech総研 - Yahoo!ブログ が傑作です。
 200円で10分毎食寿命が延びるとして、200円稼ぐのに10分かかるとするなら、僕はべつに普通の野菜でいいです。 苦労した分長生きなんかしたくない! 働きたくないでござる! 絶対に働きたくないでござる!
こういう損得勘定、いかにも「理系の人々」らしくて私も好きですねえ。100%共感します。

2009年9月11日

『おしえて!科学する麻雀』



統計的に正しい麻雀のセオリーがよくわかる本です。
具体的なセオリーの数々は前著の『科学する麻雀』と同じなので割愛しますが、どれも意外にシンプルで機械的判断ができることが特徴で、麻雀はそれほど奥の深いゲームではないということがわかると思います。技術よりも偶然に大きく左右されるゲームという点において、資産運用との類似性を強く感じます。
オリに対する心構えとしては、結果的な振り込みを気にしないことが重要です。
(中略)
たまたまオリウチになったり「ミエミエ」らしきものに振り込むケースもあるでしょうが、長期的に見るなら、危険度グラフに基づいて正しくオリているかどうかは成績に直結します。1回1回の結果を気にしすぎていては、正しい方法は身につきません。偶然を偶然と認める勇気が必要です。自分勝手な後付けの理屈はいりません。
前著のエントリーにも書きましたが、このような心構えは、資産運用にもそっくりそのまま応用できる非常に合理的なものだと思います。

本書の最後に、前著に対する麻雀のプロたちの賛否両論が載っています。
「読み」の精度を上げる努力を放棄したほうが有利? そんなことはないでしょう。「読み」は正しく学習することで、精度を高めることはできるんですよ。
のような意見に代表される反論の多くが、資産運用におけるパッシブ派に対するアクティブ派の態度とそっくりに見えてしかたありません。

2009年9月7日

『経済成長は、もういらない』



超斜め読みしたので全体の評価は保留します。

ランチタイムを2時間以上取り、決して残業はしないというスペイン人の働き方は日本人と対極的で、
日本人は、働くために食べるのだが、スペイン人はまさに食べるために働くのだ。
という表現がぴったり当てはまります。
 そもそも働くとは、現在の楽しみを未来に先のばしして、そうしてガマンした代わりに、将来使うべきお金を得る行為にほかならない。
私の労働観を簡潔に表現してくれる文に出会えた気がしました。
さらっと書いてありますが、日本人でこういう割り切った労働観を持っている人はまだ非常に少ないのではないかと想像します。

2009年9月3日

『この国を作り変えよう 日本を再生させる10の提言』



 よく、格差を市場経済における弱肉強食の結果だという人がいますね。たしかに市場経済が機能していれば、そこには競争力格差が生じます。しかし、いま日本で問題となっている格差の多くはそれではない。この労働市場の正規社員と非正規社員のように、反市場経済的な制度や規制によって発生する格差のほうなのです。
 市場経済の競争が原因ではないにもかかわらず、格差があるのは市場経済のせいだということにして、さらにその格差を是正するために、規制や補助金といった反市場経済的なものを次々と導入するものだから、その結果、格差の壁がどんどん厚くなっていく。そういう「官製」格差みたいなことが、いたるところで起こっているというのが、日本の現状なのです。
言われてみればその通りかもしれません。
 労働力でいえば、正規と非正規の壁なんてなくしてしまったほうがいい。そのほうが全体としての生産性は上がるでしょう。その結果、個々の能力に応じて新たな格差が生まれるとしても、それはフェアな競争の結果ですから、むしろあるべき姿といってもいいのではないでしょうか。
正論です。
正規労働者の強固な既得権だけは保護したまま、非正規労働者だけが競争にさらされているというのは全くフェアではありません。
しかし正規労働者の強固な既得権をぶち壊して市場の自由競争に委ねるとなると、労働者は平均的にどんどん貧しくなっていくでしょうね。
 国民の税金を使うのであれば、そういう競争ができるよう環境を整えるために使うべきです。そうすれば、日本人の能力はまだまだ伸びます。
 ところが、政府がやっていることをみると、農業の補助金に国民の血税を注ぎ込んでいる。あれは内容をみると農業の生産性を上げる目的ではなく、逆に生産性を低い状態で維持するためにお金を使っているわけです。あのような、国民の潜在的に大きな能力を、あえて生産性が低いところにとどめておく、一種の愚民化政策のような税金の使い方というのは、国家の犯罪といってもいいのではないでしょうか。
同感です。
このような政策のせいで、われわれ消費者は税金の無駄遣いをされた上に、コストパフォーマンスの劣る農産物を買わされるという二重の損失を被っているのです。
そこにある格差はなぜ生まれたのかという原因の追究もきちんとせずに、ただ弱者がかわいそうだという情緒的な側面ばかりを強調して、格差はいけないという方向に無責任に世論を誘導していくというメディアの姿勢には、大いに疑問があると思います。
同感です。
格差の存在自体を問題視する風潮こそ問題だと思います。
 人の行動を決定づけるのは何かといったら、それはインセンティブである、しかも単純な目先の利潤の最大化といったものではなく、もっと多様で複雑で、たとえば心理的要素もインセンティブ因子として考えなくてはならないというのが、行動経済学の基本的な考え方です。そして、いま世界の最先端の学者や政策立案者は、この行動経済学に基づいて、いかに社会が効率的に動くようなインセンティブ・デザインを描けるかを研究しています。
 ところが、既得権益層の利益を守るためにわけのわからない規制をつくり、それで問題が起こるとパッチワークのように、次から次へと規制を増やして穴をふさごうとする、そうかと思えば突然ルール事態を変えてしまう日本の政治や行政には、インセンティブという概念の影も形も見当たりません。
なるほど。日本は「パッチワーク行政」の国だというのは当たってますね。
日本の経済政策議論はいまだに、すべてを市場に任せる新自由主義か、それとも市場を制限するケインズ主義か、どちらを選択しましょうかというレベルです。それで、ちょっと新自由主義的なものが行き詰まると、すぐにオールド・ケインジアンが出てきて財政出動による所得の再配分を主張するということが繰り返されている。
 でも、もう一度言いますが、世界を見渡せば、そんな議論はとっくに終わっているのです。ミルトン・フリードマンがレッセ・フェール(自由放任主義)を主張したときのようなイデオロギー論争なんて、もはやどこもやっていません。
世界の経済政策議論がそれほど進んでいるとは知りませんでした。現在の議論の中心はインセンティブ・デザインだそうです。そこでは政府による市場介入こそが悪であるという考え方もまた否定されます。

日本においてインセンティブ・デザインができていない例として、経済犯の罰金が挙げられています。
 最低でも検挙率の逆数を不正利益に掛けた金額を罰金に設定しないと、儲かる確率のほうが高くなるので、やったほうがいいということになってしまう。つまり現行の法律は、経済犯罪を計画している人に、むしろインセンティブを与えてしまっているのです。
確かにその通りです。これでは食品偽装などの経済犯罪がなくならないのも当然と言えましょう。
日本の政治家や官僚は、確率や期待値の計算が苦手なのでしょうか。
 結論をいってしまえば、いまの年金制度にどう修正を加えたところで、破綻を避けることはできませんから、これは解散しかありません。
これ、ありそうでなかった提言じゃないでしょうか。
確かに一番シンプルでスッキリする解決方法かもしれません。

2009年8月31日

『払いません。―ナンデ?モッタイナイ!』


本書はとても過激な行動の書であり、同時にとても役立つ実用の書でもあります。
とありますが、実際に実用に耐えるのは、第3章の交通違反反則金、第4章の国民年金ぐらいかなあと。しかもこの二つは過激でもなんでもなく、比較的簡単に実践できることです。

私は過去20年ほどの間に交通違反嫌疑で2回ほど青切符を切られた経験があります。せっかくの機会なので正式裁判を受ける権利を行使したのですがあいにく起訴されることはなく、反則金や罰金の類は一銭も払ったことがありません。本書に書いてある通り、青切符の場合の不起訴率がかなり高いのは真実だと思います。検察官も裁判所も雑魚にかまっている暇はないということでしょう。

国民年金を合法的に払わない「免除」は、無職でなくても低所得者であれば拍子抜けするほど簡単に実行できて、しかもデメリットはほとんどないと言って良いと思います。同じ早期リタイア組のぬこさんは律儀に全額払っているという事を知って、正直驚きました。私は当該記事の
1円も払わずもらえるなら、これほどの投資はない
というコメントと同じ考えで、敢えて払うことに合理性はないと思っています。関連記事:
早期リタイア後の懸案事項の一つは国民年金です。 ほとんどの場合、失業者、低所得者として免除申請すれば全額免除になるはずです。私の場合も既に全額免除2年目に入りました。 年金の損得勘定は死亡年齢によって変わってくるので混乱しがちで、免除を受けると将来の支給額が減額されて損をする、と...
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第5章の国民健康保険では、
保険料のシステムが「高額所得者」には軽く、「低所得者」には負担の重い仕組みになっています
などと書いてあるのですが、いったいどこが?と思いました。
年収154万円の母子家庭の保険料が年額86,776円、一人当たり43,388円なのに対して、年収1,180万円の4人世帯の保険料が満額の61万円、一人当たり15万5千円という例が示されているのですが、同じ内容の保険に3.5倍も多く払っていてなお「軽い」などと言われたのでは堪らないでしょう。

第8章の介護保険料では、
住民税の大増幅、介護保険料の天引きなど、高齢者に対する「収奪」はあまりにもひどい。
などと書いてありますが、今までタダ同然だった高齢者の負担と比べて何倍増えたとか言われても・・・。ようやく適正な負担になりつつあるだけのことで、現役世代に対する理不尽な「収奪」に比べたらまだまだ可愛いものだと思いますよ。

2009年8月26日

政治ポジションテスト

かえるさんのブログで紹介されていた政治ポジションテストが面白そうなのでやってみました。

結果は、「リベラルかつ小さな政府を目指すタイプ」でした。
政治ポジションテスト結果.JPG

外交編では「グローバル指向のハト派」でした。
政治ポジションテスト結果外交編.JPG

普段当ブログに書いていることからして、予想通りの結果と言えましょう。特に小さな政府、グローバル指向が最高の+4なのははっきりとした自覚があります。しかし端へいくほど円は小さくなり、そういう政策は政治的に実現困難なのでしょうね。

2009年8月25日

『非属の才能』



漫画家の著者が、取材で何百人もの「才能のカタマリ」のような人たちに会って話を聞いた経験から、
「才能というものは ”どこにも属せない感覚” のなかにこそある」
と説く本です。
 学校は、人生でもっとも同調圧力が強い閉塞空間だろう。
「これが正解」「これがふつう」「これがあたりまえ」「これが常識」という同調を、教師は毎日これでもかというほど生徒に押しつけてくる。
やっかいなのは、それが生徒のためだと教師たちが本気で信じ込んでいることだ。完全に協調と同調を混同してしまっている。
同感です。
このような行動の根源にあるのは、中島義道氏が『人生に生きる価値はない』の中で「みんな一緒主義」と呼んでいるものと同じだと思いますね。

やや話がそれますが、ブランドの価値については次のような意見を述べています。
 とはいえ、バッグ一つに100万円は高すぎる。
バーキンでなくても、たかが財布やたかが時計に大金を払うのは、やはり少しどこか「ズレている」と言わざるを得ない。
━━みんなが認めるタグには価値がある。
こうなると価値の判断は「自分」ではなく、常に「みんな」だ。
時計ならロレックス、財布はヴィトン、車ならベンツかBMW、住むなら世田谷区か港区などと言う人間の多くは、ピンからキリまですべてを吟味してそう結論づけているわけではなく、みんなが称賛するブランドを選んでいるだけだったりする。
ブランドの価値が理解できない人間として、完全に共感しました。
 特にテレビは一切、見る必要はない。
同意します。しかし、
もちろん、インターネットも絶対につないではいけない。
携帯電話は一刻も早く解約しなければならない(もしくは電源を切る必要がある)。
これはちょっと・・・。
「誰ともわかり合えない」という危機感を持ち、小さな群れにさえも属さないためだそうですが、そこまで自分を追い込まないと芽が出ない才能なら自分は要らないかな、と思います。

2009年8月20日

『偽ロレックスを買う人は、どうして一生貧乏なのか?』



 世の中で金利を赤の他人に払ってあげるほどバカバカしくて、くだらなくて、無駄なことはない、と思っていただけるようになったでしょうか?
借金をして物を買うとどれだけ損をするかということを、バランスシート上の数字を使ってわかりやすく教えてくれます。
 物を購入する際は、極力ローン、キャッシングを避けキャッシュ(もしくはカードの一括払い)で購入することを心がけましょう。
いまさら言われなくてもそんなことは当たり前、と感じる人は読む必要のない本だと思います。
 あなたは住宅ローンをそのままにして、一生懸命貯蓄(金融資産)を増やしていませんか。
(中略)
その100万円でいったいいくらの金利を支払う必要がなくなるか、それを計算してみると解約手数料を払ってでもローン返済に充てるほうがお得かどうか、わかってくると思うのですけれど。
繰り上げ返済に勝る資産運用なし、とはよく言ったものです。

本書で変だなと思ったのは、
・偽ロレックスなどのブランド物の話
タイトルで釣るには良かったのでしょうけど、自分がBMWの虜になった経験などを紹介して、高級ブランドに余分な金を払うことをお勧めしている点は蛇足だなあと思いました。

・「カモ」にならないための資産運用スタンス
運用のプロたちがしのぎを削っているマーケットにお金を置きっぱなしにしていると、素人はカモにされるという趣旨のことを書いていますけど、いかにもありがちな誤解だなあと思いました。

『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』より:
「投資のプロってどうやって利益を上げているのですか?」
(中略)
答えは「投資のプロは利益を上げていない」です。
お金を置きっぱなしにしている素人はカモではないばかりか、プロのおかげで楽をさせてもらえるフリーライダーとさえ言えると思います。

2009年8月17日

『ウェブはバカと暇人のもの』



ネット漬けの日々を送っているという著者が、インターネットの理想論ではなく現実論を、しかもダークサイドに焦点を絞って語る本です。このように挑発的なタイトルで釣るあたりは、流石にニュースサイトの編集で飯を食っているだけのことはあるなと。これは皮肉ではありません。
現在、私はとあるニュースサイトの編集者をフリーランスでやっている関係で、ネット漬けの毎日を送っている。何がネットでウケて、何がウケないか、どんなことをすれば叩かれ、どんなことをすればホメてもらえるか、そんなことをいつも考えている。
何だか大変そうな仕事ですね。顔の見えないネットユーザーの顔色を窺うというのは。
 私たち運営当事者が相手にしているのは、善良なユーザーがほとんどではあるものの、「荒らし」行為をする人や、他者のひどい悪口を書く人や、やたらとクレームを言ってくる「怖いユーザー」や、「何を考えているかわからない人」「とにかく文句を言いたい人」「私たちを毛嫌いしている人」も数多い。
 いや、暴言を吐いてしまうと、「バカ」も多いのである。
その通りです。ただし、ここで「バカ」とひとくくりにして呼んでいるのは「頭が悪い人」というよりは、「自分に何らかの害を及ぼしそうな人」という感じでしょうか。
リアルの世界がそうであるように、ネット上にも各種の「バカ」を含む多様な人々が存在するのは当然と言えるでしょう。
 そして、タチの悪いことに、この「バカ」の発言力がネット上では実に強いのである。
これもある意味当たってます。
ネットはフラットな世界であり、「バカ」もそうでない人も匿名で自由な発言ができるため、リアルの世界では自制していた「バカ」が急に目立ち始めたと見るのが妥当ではないかと。
 悲しい話だが、ネットに接する人は、ネットユーザーを完全なる「善」と捉えないほうがいい。集合知のすばらしさがネットの特徴として語られているが、せっせとネットに書き込みをする人々のなかには凡庸な人も多数含まれる。というか、そちらのほうが多いため、「集合愚」のほうが私にはしっくりくるし、インターネットというツールを手に入れたことによって、人間の能力が突然変異のごとく向上し、すばらしいアイディアを生み出すと考えるのは、あまりに早計ではないか?
完全なる善とか突然変異とか、そこまで楽観的に捉えている人はいないような気が・・・。
集合愚が生まれる場合もあることは否定はしませんが、集合知との二者択一というわけでもないでしょうし。
・ネットはプロの物書きや企業にとって、もっとも発言に自由度がない場所である
・ネットが自由な発言の場だと考えられる人は、失うものがない人だけである
あたらずといえども遠からず。
プロの物書きであるが故に自由に発言できないというのは何とも皮肉ですが、プロが書いた記事よりも個人のブログのほうが断然面白いという傾向と見事に一致しています。
 そうこうしているうちに、男性からは「韓国を叩く件はどうなったか?」という連絡が入るようになり、そこで私はもはや「双方向」を諦めた。「Web2.0」とやらはあくまでも頭の良い人のための概念であると結論づけ、コメント欄をあまり見ないようにすることにして、携帯電話番号の公開もやめたのである。
ここで著者が諦めたと言う「双方向」とは、読者との直接的な質疑応答やコメントのやりとり、すなわち「キャッチボール」を意味しているようですが、本来のインターネットの双方向性というのはそのような狭い概念ではなく、リンクやトラックバックなども含む広い概念です。単に「キャッチボール」ができないケースがあるからといって、「双方向」そのものに問題があって機能していないかのように言うべきではないでしょう。
・全員を満足させられるコンテンツなどありえない
価値観の多様性を考えればそんなことは当たり前だと思うのですが、自ら様々な苦労を重ねた上での結論には重みがありますし、プロの物書きの悲哀すら感じます。
 ここで、ネットでうまくいくための結論を5つ述べる。(略)
2. ネガティブな書き込みをスルーする耐性が必要
この適性は絶対に必要ですね。これがないためにちょっと炎上しただけで閉鎖してしまったり、内容が無難すぎてつまらなくなってしまうブログがあったりすると、もったいないなあと思います。
基本的に「ネット世論は怖い」と大企業の人は思っているようだ。
 それでいて、「これからはWeb2.0の時代ですなぁ、ガハハ」などと言うのだ。
(中略)
 だが、ネットの書き込みを恐れている人間が、「これからはWeb2.0の時代ですなぁ、ガハハ」などと言うのは噴飯モノである。もし本気で「これからはWeb2.0の時代ですなぁ、ガハハ」と言いたいのであれば、その前にWeb1.374ぐらいは身につけろ、と言いたい。
 Web1.374とは今ここで思いついた適当な数字でしかないが、「ネットの書き込みに対する耐性をつけ、スルー力を身につけるレベル」ということである。
同感です。
 もう私は結論づけているが、ネットでいくらキレイなことをやっても消費者は見向きもしない。
(中略)
ネットでは、身近で突っ込みどころがあったり、どこかエロくて、バカみたいで、安っぽい企画こそ支持を得られるのだ。
(中略)
これを言うと企業の人は、「ネットってバカみたいじゃないか!」と驚く。だが、「はい、バカみたいなんです。そういうものなんです。人々の正直な欲求がドロドロと蠢いている場所なんです。(略)」と答えることにしている。
これも同感。
要はネットだからといって(良くも悪くも)特別視するのではなく、リアルの世界と同じと思っていればいいのです。

第5章では「ネットはあなたの人生をなにも変えない」と題して持論を展開していますが、やや言い過ぎという印象です。
ネットよりも電話のほうがすごい
ネットよりも新幹線のほうがすごい
異議あり。
新幹線なんか無くたって在来線があるし、今は電話がなくなってもネットで代用できるけど、ネットが無くなったら代替手段はありません。
故にネットのほうがすごいと思います。

2009年8月14日

無職生活開始~ by ぬこ

33歳で早期リタイアした方のブログを見つけました。
無職生活開始~ by ぬこ

ざっと拝見したところ、5000万円の資産は給与収入からこつこつ貯めて築いたもので、現在も定期預金のみの運用のようです。無理にリスクを取らなくても、生活コストを抑えることによってそれなりの資産を積み上げることができるというひとつの実例であり、具体的な金額やライフスタイルを公開している点でも、そこをわざとボカしている当ブログなどよりもはるかに、早期リタイア志向の人の参考になるブログだと思います。

「5000万円じゃ足りない」という趣旨のコメントも多く寄せられているようですが、現在の生活コストが年100万円であることを考えると、一体何が足りないのだろうというのが素直な感想です。

「33歳じゃ早すぎる」という意見に対しては、

これが答です。この考え方には私も共感するところが多いですね。

2009年8月10日

『一流の人は空気を読まない』



私は「KY」などという言葉が流行語になってしまう風潮を好ましく思わない一人ですので、タイトルに惹かれて借りてきたわけですが・・・

空気を読む読まないという話は、料理にたとえれば前菜扱いでしかなく、かなり期待外れでした。
本書のメインディッシュは、コテコテの努力主義者の著者が暑く語る仕事観と人生観であり、努力主義を好まない私にはとても食べられたものではありませんでした。(苦笑)

たとえば、次のような記述が随所に見られます。
努力を続けている限りは可能性はなくならないし、「完走」といえるほど努力を持続できたなら、結果を問わない達成感が生まれてくることは保証できる。
(中略)
だからこそ、「空気を読む」といったつまらない行為は放棄して、がむしゃらな努力をしてほしいと願うわけである。
年齢や境遇などには関係なく、誰もに夢や目標を持って、それに向かってたゆまぬ努力を続けてほしいということである。
(中略)
お金を貯める余裕や暇があるならば、勉強しろ、チャレンジを続けろ、ということである。
 チャレンジをしないで生きているということは、私に言わせれば死んでいるのとも変わらないことである。
(中略)
いちど力尽きて倒れるぐらいまでチャレンジしてみてこそ、自分の限界というものが見えてくる。そのときに初めて、自分の持つ可能性というものが見えてくるのだ。
もう、これでもかというぐらい煽ってます。1ページの中に出てくる「努力」や「チャレンジ」といったNGワード(笑)の密度が非常に高い。

本書は成功者にありがちな「自身の成功体験の一般化」の典型と見ました。
一つの成功物語として楽しむ分には問題ありませんが、本書に書いてあることを信じて真似する人が出てこないことを祈るばかりです。

関連記事:
『人生に生きる価値はない』 で著者の考え方に興味をもったので読んでみた本です。 私は、一生懸命生きれば人生に成功も失敗もない、という単細胞的きれいごとを言いたいのではない。それは完全なウソである。一生懸命に生きても(いわゆる)失敗に足を絡まれる。ノラクラ生きても(いわゆる)成功は...
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2009年8月3日

『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』



『貧困ビジネス』で紹介されていた湯浅誠氏の本です。
貧困の最大の特徴は「見えない」ことであり、そして貧困の最大の敵は「無関心」です。
確かにその通りなのでしょう。しかし、
どうか貧困問題に関心を寄せてもらいたい。
残念ながら、こうしてブログに感想を書く程度の関心が私には限界です。本書を読み終えても、「所詮は他人事」という思いが消え去ることはありませんでした。貧困を他人事と思っている多くの人間の関心を引き寄せるには、道徳論や「明日はわが身」の恐怖心を煽るような主張ではなく、経済学的な視点から明確なインセンティブを提示する必要があるのではないかと思います。

本書の核になっている「貧困は自己責任ではない」という主張については、人材派遣会社ザ・アールの社長・奥谷禮子氏の物議を醸した発言を引用した上で、
先に奥谷発言に触れたように、自己責任論とは「他の選択肢を等しく選べたはず」という前提で成り立つ議論である。他方、貧困とは「他の選択肢を等しく選べない」、その意味で「基本的な潜在能力を欠如させた」状態、あるいは総合的に、”溜め” を奪われた/失った状態である。よって両者は相容れない。
と書いていますが、この主張に対しては以下のように反論しておきます。

人は何の意思決定も下さないないまま、「他の選択肢を等しく選べない」状況に陥いるものなのでしょうか? そのような状況に陥る前には「他の選択肢を等しく選べた」状況が存在したのではありませんか? 現在 ”溜め” を失った状態を招いたのは、それ以前の自らの選択の積み重ねではないと、どうして言えるのですか? 

「貧困は自己責任ではない」という主張に説得力が生まれるのは、自らが置かれている状況が、完全に外的要因のみによってもたらされた場合に限られ、現実に日本という豊かな国に生まれた人が、「自己責任ではない貧困」に陥る事例は極めて稀ではないかと思います。たとえば、第1章に出てくる夫婦の事例でも、
 最初に勤めたのは、ガソリンスタンドだった。時給690円のアルバイト。まじめに働いていたのが評価されて、向かいのメッキ工場にスカウトされる。そこをやめたのが18歳。理由は「自衛隊に入るため」だった。
自衛隊を3年で除隊した久さんは、大阪に帰って、おもちゃ販売、パチンコ、旅館と衣食住完備の仕事を転々とする。2005年に上京してくるまで、17年間で約30ヶ所の職場を転々とした。
 高校卒業後、服飾の専門学校に入るが、2、3ヶ月で中退。その後、家にひきこもる生活が始まる。20歳のときアルバイトもしたが、3週間しか続かなかった。
彼らが仕事を転々としたり、学校を中退したりしたときに、「他の選択肢を等しく選べない」何らかの事情が存在したという説明は見当たらず、そうした理由は単に「自分がそうしたかったから」にすぎないと思われるのです。
 健全な社会とは、自己責任論の適用領域について、線引きできる社会のはずである。ここまでは自己責任かもしれないが、ここからは自己責任ではないだろうと正しく判断できるのが、健全な社会というものだろう。
それにしても本書で著者が引いた線というのは、逆に「自己責任と言える場合って本当に存在するんですか?」と聞きたくなるぐらい、あまりにも自己責任論の適用領域を狭くしすぎであり、とうてい受け入れられそうにないと感じました。

2009年7月29日

『クラウドの衝撃――IT史上最大の創造的破壊が始まった』



以前読んだ『クラウド・コンピューティング』では、あくまでも1ユーザーの視点から、「全体的に目新しい要素は少なく、やはりバズワードにすぎないのかなという印象です。」という暢気な感想を書きました。

しかしユーザーから見てサービスの価格がタダ同然にまで安くなっていくありがたい変化は、本書のようにビジネスの視点から見ると、まさに「衝撃」と呼ぶにふさわしい変化でもあることがよくわかりました。
 いずれにしろ、クラウド・コンピューティング時代の主役はあくまで「サービス」である。ユーザーはプロバイダと事前に合意したサービスレベルが維持されている限り、そのサービスがどのような技術や製品を使って提供されているかを知る必要はない。
われわれが日々利用している水道や電力などの公益サービスがどこのメーカーの機械、設備を使って供給されているかを気にする人はほとんどいない。同じように、クラウド・コンピューティングが普及したといえる時代になれば、どのベンダーの製品を使ってサービスが提供されているかということは誰も気にしなくなるはずだ。
サービスプロバイダは、サービスレベルを維持できる範囲でできるだけ安価なハードウェアや無料のソフトウェアを使おうとするでしょうから、今まで比較的高価な製品を売ってきたベンダー、SIerなどに向けられる需要が激減していくと思われます。Windowsという高価なOSが過去のものになる日も遠くないかもしれません。
 筆者はクラウド・コンピューティング時代の到来が、IT業界に地殻変動ともいえる大きな変化をもたらすことになると確信している。このパラダイムシフトに対応できない企業はクラウド・コンピューティングが拓く新たな時代に生き残ることは難しくなるということを、改めて強調しておきたい。
昔は花形だったITで飯を食っていくのは非常に大変な時代になることは間違いなさそうです。IT業界への就職や転職を検討している人は読んでおくべき一冊だと思います。

2009年7月28日

手間をかけてもお金は増えない

銀座なみきFP事務所|■手間をかけずにお金を増やせるか より:
人間には、多少の才能の違いや努力の程度はあるでしょうから、
人によって、それらの対価として得られるお金の量にある程度の
多寡はでてくるかも知れません。
ここまでは労働の対価としてお金を得る場合の話で、
でもだからと言って、これだけ多くの人間がほぼ精一杯努力をし、
お金を得よう、幸福をつかもうと競争しているこの世の中で、
「楽してお金が儲かる」「手間をかけずにお金を増やす」
などという虫のいいお話があるとは私には思えません。
ここで虫がいいと言っているのは、投資のリターンとしてお金を得る場合も含まれているようです。

両者がお金を生み出す仕組みは根本的に異なりますから、混同してはいけないと思います。
関連記事:
昨日の記事 で紹介した『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』では、安定した給与収入を生み出す自分自身という人的資本を、1億円程度の現在価値をもつ「サラリーマン債券」とみなす考え方が出てきます。 確かに面白い考え方だとは思いますが、一晩考えた結果、私はこれは誤りであるとの結論に至りま...
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確かに、「労働の対価」を得るためには何らかの手間や時間をかけることが必要で、それに見合わない対価を得るのはいかにも不自然で虫のいい話かもしれません。しかし、それと投資に手間をかけるべきかどうかは、まったく別の話です。

手間=時間=お金であり、何らかの手間をかけることはいくらかのコストを負担しているのと同じことです。見かけのリターンは同じでも、投資に手間をかける人はかけない人よりも実質リターンが少なくなります。少しでもリターンを増やそうと必死で「努力」したり「手間」をかけているファンドマネージャーの大半が、逆に市場平均よりもリターンを減らしているのが現実です。

つまり、投資の場合は「手間をかけないほど実質リターンが増える」のです。

では、投資家は何の負担もなく「楽してお金が儲かる」仕事なのでしょうか?
いえいえ、とんでもない。

投資家の仕事は、「リスクを負担すること」です。それ以外の何物でもないでしょう。
世間では誰もやりたがらない嫌な仕事を自ら進んでやっているのに、お金が儲かるどころか損することもあるわけでして。
どう見ても虫のいい話ではありません。

関連記事:
長期投資の本質 | Money Management!  より: 私は長期投資の本質は「短期の価格変動に耐え、投資対象の 本来的なリターンを取りに行く」行為だと考えております。 この結論に異論はないです。 しかし、次のような意見には違和感が・・・。 あるいは「手間をかけず」という...
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2009年7月22日

『バフェット流投資に学ぶこと、学んではいけないこと』



ウォーレン・バフェットとバークシャー・ハサウェイについて書かれた本はすでに何十冊とあるため、また書くのかという声が上がっても不思議はない。ただ、これまでに出た本の多くはバフェットの投資戦略を分析してはいるものの、偉大な人物へのラブレターと大差ないように思われる。多大な称賛に値する人物であることに間違いないが、大半のバフェット本は客観性を欠いている。彼の投資手法の欠点を指摘できていないし、彼のお気に入りの投資戦術を注意深く分析している場合でも、どの戦術ならほかの投資家もまねできるかという説明はなされていないことがある。そしてそれ以上に重要なのは、バフェットならできるがほかの投資家では事実上まねできない戦術があることについて、説明していない本が多いことだろう。
と書いてあるように、バフェットのずば抜けたパフォーマンスに心酔し、彼の投資手法を真似したくて仕方がない投資家たちの頭を冷やすための本と言ってよいでしょう。
覚えておかねばならないのは、この理論が示すように、ポートフォリオで分散投資すれば常に利益が得られるということだ。
では、ここで言う「利益」とはいったいどんなものか。一言で言うなら、次のようになるだろう。
ポートフォリオで分散投資を適切に行っていれば、そのときのリスク量で実現できる最高レベルの期待リターンが手に入る。あるいは、そのときの期待リターンでのリスク量を最小限に抑えることができる。
「利益」という用語が適切でないような(「効果」とか「効用」の方がしっくりくる)気もしますが、分散投資派にとってはお馴染みの理論です。

対照的に、バフェットの考え方はこうです。
集中投資となれば、投資家は投資対象の企業について一生懸命考えるでしょうし、財務の状況などに相当な安心感をもてる銘柄しか買えなくなるでしょう。その結果、リスクはむしろ小さくなるでしょう。
つまり、「一生懸命調べたり考えたりすれば、より正確に未来が予測できるようになる」と言っているに等しく、ファイナンス理論の前提とは最初から話が噛み合ってないと思われます。
バフェットによれば、分散投資は自分には向いていないが、自分以外の大半の人には最適の戦略だという。おそらく想像がつくだろうが、バークシャー・ハサウェイはインデックス・ファンドなどまったく保有していない。バークシャーの資金でインデックス・ファンドを買うのはばかげている、とバフェットなら考えるだろう。しかし、普通の投資家はバフェットが「やっている」通りではなく、「言っている」通りにインデックス・ファンドを買うべきだと、彼は考えているのだ。
平たく言えば、ド素人は真似するなと。(笑)
集中投資がリスクのコントロールに役立つのは、投資先企業の事業計画策定に関与できたり、経営判断にある程度の影響力を及ぼしたりできるときに限られるからだ。投資先企業の資本をどこにどう配分すべきか、経営陣に意見できるだけの株数をもてないのであれば、分散投資をしたほうが大きな利益を得られるというのがバフェットの考え方なのである。
なるほど。
このような特殊な前提が存在するからこそ、上記のように集中投資でリスクが小さくなるという見解を示すことができるというわけです。

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