2010年2月2日

『知的幸福の技術―自由な人生のための40の物語』 その6

『知的幸福の技術―自由な人生のための40の物語』 その5 の続きです。これが最終回です。

本書終盤に出てくるFAQがこれまた秀逸です。
橘さん、あなたは誰ですか?

「橘玲」はペンネームで、顔写真もなければ、最低限の個人情報しか明らかにしていない。でもべつに、人に言えない後ろ暗い過去があるわけではない。
テレビ出演や講演・対談の依頼はすべてお断りしているが、その理由は、「自分の知らない人が私のことを知っている」という不条理な世界が気味悪いからだ。誰もが有名になりたがっているわけではなく、実は、このような感覚を共有する人はかなり多いのではないかと思う。ただ彼らは、社会の表舞台には出てこないので、目立たないだけだ。
プライバシーというのは、いったん失えば二度と取り戻すことはできないという際立った特徴を持つ貴重かつ希少な資産だ。インターネットの登場によって、個人情報の公開から生じるリスクは飛躍的に高まった。誰だって四六時中、不特定多数の人から監視される生活には耐えられないだろう。
匿名性は個人の生活に大きな利益をもたらすから、それを失うにあたっては、リスクを上回る十分なリターンがなければ帳尻が合わない。
そうそう、これなんですよ。私もこのような感覚を共有する一人で、個人の特定につながるような情報をブログに書くことを嫌う理由も、ここに書かれている通りです。

どうすれば経済的に成功できますか?

もちろん私は、この質問の正しい答えを知っている。それは、「経済合理的に行動すること」だ。なぜなら私たちが暮らす自由な市場経済とは、経済合理的な人間の下に富が集まる仕組みなのだから。
正しすぎてぐうの音も出ません。
しかし現実には、昨日の資産運用の話にも出てきたように、その通りに行動する人は意外に少ないようです。

社会の歪みを利用するのは卑怯では?

不公平な社会制度を改革するもっとも有効な方法は、正義や善意ではなく、制度の歪みをグロテスクに拡大する経済合理的で利己的な個人の行動に任せることだ。その結果、これまでの制度が立ち行かないことが誰の目にも明らかになれば、そこではじめて改革への大衆的な合意が形成される。一人ひとりの利己的な行動から効率的なシステムが生まれることを、アダム・スミスは「見えざる手」と呼んだ。
その通りだと思います。
これを「卑怯」とみなす自己の正義に従うのは勝手ですが、制度そのものではなく、利己的に行動する人を非難するのはお門違いでしょう。
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最後は自由と自己責任の話。
国家に国民を保護する義務はない
自己責任は自由の原理であり、私たちが国家から自らの権利を守るための大切な武器である。人は自由に生きる方が幸福だ。そう考えるならば、国家に必要以上の「義務」を負わせてはならない。
(中略)
より多くの義務を負う国家は、国民の私生活へのより大きな介入を正当化できる。私たちが「自己責任」を生きなければならない理由はここにある。
「国民を保護するやさしい国家」ほど危険なものはない。自由な社会は、国民に対して均しく冷淡な国家からしか生まれない。
何度読んでも素晴らしい教えですね。
自己責任論を否定して感情論に訴える、最近やたらと声の大きい人たちに騙されないためには、是非このような考え方に馴染んでおく必要があると思います。
参考記事: AIC:海外投資を楽しむ会:橘玲: 「貧乏はお金持ち」 あとがき(1/3)

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