2012年12月2日

『ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』 pha (著) その2



昨日の記事の続きです。

僕の感覚では、別にニートに限らず何事においてもだけど、自己責任と、それ以外の自分でどうしようもないことの割合は50%50%くらいだ。
割合はわかりませんが、人生が運の要素にかなり左右されることは否定しません。

自己責任論を主張する人たちは「普通に頑張ればなんとかなるはずだ」と言う。しかし、ある人の生活がうまくいかないとき、それは本人の責任ではどうしようもない原因のせいであることが多くないだろうか。
私は自己責任論者ですが、「頑張ればなんとかなる」とは限らないことは認めます。いくら頑張っても運が悪ければどうにもならないこともあるのが現実です。

しかし、だからといって自分以外の他人にその責任があることにもなりません。著者の感覚に従えば、半分は自己責任で、半分は誰の責任でもない、ということになります。

日本国政府がやっている所得の再分配や生活保護は、よく考えると何の責任もないはずの他人に(間接的に)貧乏人に富を分け与える義務を押し付けているという点で、けっこう理不尽な制度だと思います。

ゲーム風に言うと「人生は初期設定によって難易度がイージーかベリーハードかが違いすぎるクソゲーなんじゃないの」ということだ。
はい、その通りだと思います。
ただし、ベリーハードモードでプレイしているのは日本のニートではなく、たとえばアフリカの最貧国に生まれた人たちでしょう。日本人は運が良ければベリーイージーモード、普通でイージーモード、最低でもミディアムモードでプレイできるという特権を持っています。

自己責任論を言う人たちは、そもそもある程度恵まれた環境で育って、たまたま予想外のアクシデントにも合わずにこれまでの人生を送ってこられたせいで、そうじゃない人生のことが想像できていないんじゃないだろうか。
確かにそういう人も少なくないとは思いますが、私は想像できています。
その上で、私にとってはどうでもよい他人の人生の責任のごく一部でも、意志に反して負わされることがなければいいなと思っています。

もちろん、昨日の記事で触れたように、余裕のある人々が自由な意志に基いて困っている人々を助けることは否定しません。現状ではそれが税金や社会保険料の支払い義務という形で間接的に強制されていることに問題があり、下手に公的な制度が存在するが故に、さらに私的な負担をしようという動機が失われている面もあるような気がします。

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yumin4.blogspot.jp

(つづく?)

2 件のコメント:

  1. はじめまして。
    私もこの本を読みました。基本的にはpha氏の考えには乗れるのですが、首肯できないところもありますね。特に数字の感覚が個人主観すぎるきらいがある気がします。
    私的には遊民さんの考えは頷けるところが多いので、ちょくちょく書評やニュースに関する考えなど更新してくれると嬉しいです。

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  2. 私は本著を未読ですけど、遊民さんのご意見に同意です。
    あまり多くの受給者、あるいは将来の受給候補者(?)を、
    知っているわけではないのですが、
    どうもそういう方々は他人の善意を受けること、
    (他人の払った税金からお金を受け取ること)を、
    当然視しすぎているような気がしてなりません。

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