2015年7月16日

『素直に生きる100の講義』 森 博嗣 (著) その3



その2の続きです。

p.178
よく想像するのは、核爆弾なのか細菌兵器なのか、とにかく世界中の人間が死んでしまって、僕だけがこの世に残されたというシチュエーションだ。粗大ごみ置き場は、僕にそれを連想させる場である。たぶん、そんな世界になっても、僕はきっと楽しく生きていけると思う。もちろん、病気や怪我ですぐに死んでしまうかもしれないし、食料が尽きるかもしれないけれど、それも含めて、かなりわくわくして毎日を生きることになるだろう。
面白いことを空想するものですね。
私はゲームや映画の中の設定なら面白そうだなとは思うものの、現実に自分が地球最後の人類になるなんて状況は、余りにリアリティが無さすぎて想像できません。

p.179
 一人の時間ほど貴重なものはない。この孤独の時間が、すべての価値を生むといえる。あらゆる創作は、ただ一人で黙々と行うものだ。ここに人間としての最上の価値があると僕は考える。その作品を見る他者がたとえ一人もいなくても、自分が見る。それこそ、純粋な創作というものだろう。
概ね同意。
孤独な時間の何が良いかって、何にでも好きなだけ集中できることですね。本を読むにしてもブログを書くにしてもゲームをやるにしても、とにかく捗ります。

当ブログを見る他者がたとえ一人もいなくても、自分が見る!(笑)
実際、当ブログ唯一の目的は、今の自分が何を見て何を考えているのかを未来の自分へ書き遺すことですから、読者は自分一人で構わないわけです。

 孤独は嫌なものだと思っている人が多い。それどころか、悪いもの、恐いもの、異常なものだと見る人もいる。特に、子供や若者は、孤独を必要以上に恐れている。それがどうしてなのか、僕もよくわからない。
(中略)
一人では生きていけない。これは事実だが、それでも、孤独を抱いて生きることは、けっしてそんなに酷い状態ではない。
同感です。
孤独を恐れる感情は、孤独になることが極めて生存に不利だった原始時代に、孤独を恐れる個体のみが生存し子孫を残すことを繰り返した結果、人類の遺伝子に深く刻み込まれたのでしょう。

現代人の脳には他にも色々と原始時代の習性が色濃く残っていて、現代社会を生きるのには最早必要のない恐怖や不安を感じやすいようにできているのです。(関連記事: 『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』橘 玲 (著) その1

(つづく)

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